【牛がいて人がいて】沖縄最南端の竹富島へ移住することの意味

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牛がいて人がいて

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今日は沖縄最南端、竹富島の話をさせてください。

今から何年前でしょうか。

どうしても行きたくなりました。

沖縄は修学旅行の引率などで、5回くらいは訪れています。

平和教育の一環として、ひめゆりの塔や、平和の礎を訪ねることには大きな意味があります。

語り部の話を聞くチャンスがだんだん減りつつある現在、貴重な場所です。

さらに戦時中、野戦病院として使われたガマの存在があります。

洞窟ですね。

そこに入り、懐中電灯を消して、戦争中の怖さを身をもって体験するという学習も、沖縄でなければできません。

何度行っても、生徒たちは肌で戦争を感じたのがよくわかりました。

そしてもう1つは海の青さです。

プライベートビーチを持っているリゾートホテルなどに宿泊できると、楽しい思い出が倍増するのです。

浜辺でのバーベキューとか、カチャーシー、エイサーの実演と盛りだくさんです。

何度行っても新しい楽しみがみつかる場所だと言っていいでしょう。

しかしコロナ禍の今日、修学旅行をすることもなかなか難しいのが現状です。

気の毒でなりません。

高校生の時代、それも修学旅行に行ける期間は限られています。

はやくこの感染症が収まるのを祈るしかありません。

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竹富島

何度か沖縄本土を訪ねているうちに、離島にも出かけたくなりました。

少し足を伸ばさなくてはなりません。

石垣島をベースにして竹富島へ出かけたのは、もうかなり以前のことです。

コースで出かけると、島にいる時間はかなり短くなってしまいます。

それだけは避けたかったので、少し時間をずらしました。

おかけで島の様子が実によくわかりました。

コンドイ浜と呼ばれているところは星の砂で有名ですね。

真っ白な砂を手にとると、確かに星の形をしています。

観光船のくる時間をはずすと、誰も浜にはいません。

水牛の引く車にも乗客は誰もいません。

静かな南の島があるだけです。

島の女性たちが、芭蕉布などを編んでいるところにも行きました。

のんびりとした時間がただ流れているだけです。

テレビの音がどこかから聞こえてきます。

他にはなんの音もありません。

1年中、きっとこういう時間が流れ続けているんでしょうね。

水牛の引く車にのって、民家の間を移動します。

サンゴの塀がずっと続いています。

屋根の上には守り神のシーサーが乗っています。

木造赤瓦の民家と白砂が撒かれた道が続いているだけです。

他にはなんにもありません。

集落の入り口には、ガジュマルの大木があります。

日差しが強くて、目に眩しいのです。

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移住者も微増

移住者も以前ほどではないようですね。

島の人口は342人(2021年3月末)。

戸数180戸だそうです。

以前よりは少し増えたとか。

移住ブーム等の影響もあったとか。

しかし実際に住んでみれば、いろいろと不便なこともあるんでしょうね。

観光産業などに従事する人がそのまま、住み着いてしまうケースもあるみたいです。

「星のや竹富島」などというゴージャスなホテルもできました。

素晴らしいつくりの宿ですね。

島の味わいを損なわないように細心の注意を払っているようです。

多くの人がゆったりとした時間を過ごしたいと思うのに違いありません

都会のラッシュアワーの対極が離島の生活と言えるのかもしれません。

毎日、流れていく雲と潮騒の音を聞く生活です。

自分が生きていることの意味を問い直すには恰好の土地なのでしょう。

生きることの意味

かつてぼくの住んでいる家の近くにも牛が住んでいたりしました。

勤めていた学校の裏山を越えていくと、大きな鶏小屋もありました。

そうしたものが今はほとんどなくなってしまったのです。

急激な風景の変化は、時に驚くほどのものです。

あっという間に幹線道路にトンネルが掘られ、車の往来も激しくなりました。

竹藪しかなかった場所に突然駅が出現し、ビルやマンションがたちました。

大型店舗が次々と開店し、少し前の風景が全くの白日夢と化しました。

牛がいて、人がいてという風景はもう過去のものです。

どうしてもゆったりとした時間を持ちたかったら、最南端の島へ行くしかない時代なのかもしれません。

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「牛しかおらんよ」と呟くおばあの声が聴きたかったら、移住するのも1つの方法ですね。

今日はここまでです。

じゃあね。