【落語・たけのこ】隣家の筍が塀越しに顔を出したので食べちゃう噺

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たけのこ

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

道楽で落語をやってます。

以前はほぼ毎月のように高座がありました。

ところがここ2年ほどは間遠になりましてね。

数カ月に1度というところです。

今年もお正月に「井戸の茶碗」をやって以来、とんとお呼びがありません。

やっと4月早々に一席やらせていただけることになりました。

憎きはコロナです。

どうにもなりませんね。

いつになったら終息するのやら。

ひたすら首を長くして待っております。

この時期は花見の落語ですかね。

貧乏長屋の花見の噺などは誠に哀感があってよろしい。

ご存知でしょ。

「長屋の花見」です。

先代の小さんがよくやってました。

「花見の仇討ち」なんていうのも独特の味わいがあります。

もう少しすると。「たけのこ」ですかね。

亡くなった小三治や喜多八師匠などがよくやってました。

登場人物が男ばかりというのも珍しいです。

それも武士だけです。

家来に「べくない」というのが出てきます。

そんなに若くはない。

漢字で「可内」と書きます。

ご主人が盛んに「べくない」と、その名を呼びます。

奇妙な名前ですけど、なんとなく風貌が漂ってきますね。

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今日のおかず

主人が夕方の膳のおかずについて訊ねるところから噺が始まります。

「これ可内、きょうのおかずは何じゃ」

たけのこにございます」

買ってもいないし、進物でもないというので、どうして筍があるのかと問いただします。

すると、隣家のたけのこが塀越しに顔を出したとのこと。

そこで主人は可内にポーズだけで注意をします。

元々は大の好物なのです。

そこでただ食べてしまうのは癪にさわることでもあり、挨拶だけはしてこいというのです。

その口上が最初の笑いどころですかね。

「不埒にもご当家様のたけのこが、わが家の庭に忍び込みました故、無礼千万と手討ちにいたしましたと、申して参れ」というのです。

可内がさっそく隣へ行くと、「相分かった。不届き至極なたけのこ、お手討ちはやむなきところだが、遺骸はこちらへお下げ渡しを」と軽く受け流されます。

隣での話をすると、主人は「死骸を引き渡せとな。ダシ諸共でも苦しゅうないか。可内、もう一度行ってまいれ。

不埒なたけのこめは、すでに当方にて手討ちにいたしました。

死骸は当方にて手厚く、腹のうちに葬り、骨は明朝、高野(厠)に納まるでございましょう。

これはたけのこの形見でございますと言うて、この竹の皮をばらまいて来い」と叫びます。

高屋というのは厠のことです。

このあたりはシャレがわからないと、意味不明になりそうです。

しかし落語は全て雰囲気で聞けばよろしい。

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再度、隣家へ

可内は主人の言った言葉を復唱します。

すると隣家の主人は「うーむ、もはやお手討ちに相成ったか。可哀や。かわ(皮)いや(皮嫌や)」と手を返して挨拶をしたのです。

たけのこの形見が皮だけというのもシャレてますが、それをかわいやとひっかけて「皮、イヤ」と同音異義語で返すあたりはなんとも上手いですね。

日本語は掛詞には最高のアイテムです。

音が同じで意味が違いますので、落語のオチには盛んに使われます。

なかには随分とつまらないのもあります。

その中で、この「かわいや」と「皮、イヤ」はかなりのレベルじゃないでしょうか。

となりの家とのあいだを何度も行き来する可内の様子と、隣の主人とのやり取りが難しいですね。

会話の間

この2人の会話の間がちゃんとできないと、この話はどこが面白いのか、さっぱりわかりません。

訥々とした語り口と、飄々とした語り口との対決です。

それぞれの味わいをきちんと出すことができれば、お客はわらってくれるだろうと思います。

噺は間ですからね。

そこさえ、狂っていなければ、次第に上手になります。

数秒のコンマ1でも違うと、もう笑ってはくれません。

そういうものなんです。

よかったら、Youtubeに柳家喜多八師匠の動画があります。

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聞いてみてください。

楽しいと思いますよ。

じゃあね、また。