【お背戸ってなんのこと?】歌詞の意味がわかんない【里の秋】

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お背戸

こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今日は言葉の意味がわからない童謡の話です。

たまにすごく歌いたくなる時がありますね。

童謡の持ってる力かな。

好きな曲の1つが「里の秋」です。

何度聴いてもしみじみとしたいいメロディです。

しかしその背景にあるのはやはり、言葉のすばらしさでしょう。

作詞をしたのは齋藤信夫という人です。

小学校の先生をしながら童謡を作ったそうです。

終戦を機会に教職を辞めてしまいました。

戦争礼賛の授業をしたのを反省した結果とか。

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静かな静かな 里の秋

お背戸に木の実の 落ちる夜は

ああ 母さんとただ二人

栗の実 煮てます いろりばた

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里山の風景がそのまま、目の前に現れたかのような美しい表現です。

いろりばたのある日常はもうぼくたちの前から姿を消して久しいです。

しかしこの曲を聴いていると、ごく自然にその風景が見えてきます。

名曲といわれる所以なんでしょうね。

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最初のフレーズ

歌詞の中でいつもひっかかるのは、最初のフレーズにある「お背戸」という表現です。

辞書によれば、「家の裏の方、裏庭」とあります。

すたれつつある言葉なんだとか。

聞いたことがありません。

今この表現を使う人はほとんどいないのではないでしょうか。

漢字を見ると、なんとなく雰囲気はわかるけど。

裏庭に落ちたどんぐりを拾って歩くような生活ももうないし。

都会ではもちろん、地方でも消えつつあるのかもしれません。

なんとなく昔の人の暮らしが見えますね。

囲炉裏も見なくなりました。

今では、古民家カフェでお目にかかるアイテムなんだろうな。

もうなにもかもがかわってしまったのだ。

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お風呂

ついこの前もお風呂を沸かす話で盛り上がりました。

ぼくが子供の頃は、新聞紙と薪と石炭を組み合わせて焚きました。

煤が出て大変だった。

なかなかうまく火がつかなくてね。

しかしちょっと後の世代の人はそんなことがあったのという顔をしてました。

今はスイッチを押すだけ。

もっとすごいのは電話でガスに火がつくらしいのです。

この国は急速に変化したのだよ。

なんだかわからない言葉があっても怖れる必要はないのかもしれません。

お背戸ぐらいでびっくりしていていちゃいけないのだ。

民俗学

柳田国男がつくった学問に民俗学というのがあります。

これはなかなかにすごい。

興味のある人はちょっと覗いてみてください。

最初に読むといいのはやっぱり『遠野物語』ですかね。

岩手の遠野地方にあった民話を書き取ったものです。

面白いですよ。

お背戸はそこに出てきそうな風景です。

こういうのが懐かしいなんていってられるうちは幸せなのかも。

いずれ誰に話してもわからないことになってしまいそうです。

柳田国男は民俗学で「常民」という言葉を使いました。

いわゆるあたりまえの普通の人のことです。

この100年間の間に、ぼくたちはそれまでの暮らしとは全く違う様式を手にしてしまいました。

そのことがこの童謡を聴くと、痛いほどよくわかります。

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懐かしさと同時に悲しい気持ちになるな。

どうしましょ。

大きな声で1度歌ってみてください。

なんとなくあったかい気持ちになれますよ。

今日はここまで。

じゃあね。

See You Again。