【演歌は雪国と仲良し】北海道と津軽平野は哀しい魂の故郷なのか

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演歌と雪国

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

最近、演歌ばかり1人でうなってます。

どうしても歌いたいワケじゃありません。

なんとなく出てくる。

暮れに見にいった紅白歌合戦の影響かもしれません。

知らない歌がこれでもかというくらい出てきました。

その反動で短調のあのメロディが頭から離れないのだ。

どうしたんでしょう。

自分でもわかりません。

つい先刻までなかにし礼と阿久悠のライバル物語を見てました。

出てくる歌はどれも北へ行きますね。

「津軽海峡冬景色」に「北の宿」からです。

みんな帰るのは北だ。

昔の歌と違うのは男を振り切って1人で生きていくところかな。

いつまでもぐずぐずしてないのがいい。

しかし吹雪の中をどうしても夜汽車に乗っていかなくちゃならない。

これが南へ帰るのなら、もっと明るいでしょう。

あったかいしね。

それじゃあ、演歌にならないのかな。

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風雪ながれ旅

ここ数日、心地よく歌っているのがこれです。

津軽三味線の名手だった高橋竹山の物語です。

オリジナルは北島三郎です。

————————–

破れ単衣に三味線抱けば

よされよされと雪が降る

泣きの十六短い指に

息を吹きかけ越えてきた

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この歌詞を読むと、哀しすぎますね。

角付け芸人というのは北国にはたくさんいたのかな。

家の前で津軽三味線を弾いて、いくらかのお金をもらう。

幼い頃から目が見えない子供にできる仕事なんて、そうはなかったんでしょう。

福祉などという発想はだれももっていなかった。

それくらいみんな貧しかったのです。

しかし生きなくちゃならない。

なんとかその日その日を過ごす方法が角付けだったのです。

歌っていると、情景が浮かんできます。

津軽には雪しかないんですね。

ぼくも冬に何度か青森へ行きました。

酸ヶ湯温泉に入った時は、出てきたら車がなかった。

理屈じゃないんです。

しんしんと降る。

新幹線のない頃は、途中で乗り換えました。

周りの風景は真っ白でした。

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島津亜矢

彼女の風雪ながれ旅もいいね。

どうしてあんなに上手に歌えるんでしょうか。

歌の意味がじんわりと浸みこんできます。

星野哲郎という人は不思議な人だった。

哀しい歌はこの人に任せておいたらいいのかも。

北へ向かうという発想はそんなに昔のことではなかったみたいですね。

小林旭の「北帰行」が最初ではないかという話です。

そのうち誰もがどんどん北へ向かうようになりました。

北は寒いです。

吹雪に荒波。

日本海の波涛は誰も寄せ付けません。

それはすごいもんです。

何度も行ったので、よく知ってます。

風が強くて、飛行機が降りられない時もありました。

人は哀しき

最近の歌との違いはなにか。

よく考えます。

きっと人種が変わったんだね。

終戦後、満州から引き揚げきたような世代は次第にいなくなりつつあります。

なかにし礼に代表される体験をもった人たちです。

今は戦後生まれの人間ばかりになりつつあります。

ニシンの漁場も知らず、見たこともない。

石狩挽歌はもう誰にも歌えません。

それならば何を歌うのか。

今、この国を束ねる歌はないのです。

だから紅白も迷走する。

もうああいう番組そのものが生き残る余地はない。

とうとうここまできちゃいました。

今日はここまで。

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じゃあね。

See You Again。