【バブルの遺産・磯村建設】TVCMで知った開発分譲地と住宅のその後は

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バブルの遺産

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今となってはバブルの時代なんて、全て夢ですね。

1989年、日経平均が史上最高値を付けました。

終値は38,915円87銭。

バブル経済の絶頂期の記録です。

当時は日銀による低金利政策と政府の積極財政政策が上手にかみ合い、空前の好景気でした。

あの時代に家を買おうとしたのはなぜだったのか。

とにかく毎日、土地の値段が上がっていったのです。

今、手に入れておかなくてはと、みんな焦りました。

ちょっと信じられないかもしれませんね。

最近、暇な時は「限界ニュータウン探訪記」という動画をよく見ます。

運営をしている吉川さんの情報量がすごいのです。

個人でここまでリサーチをするのは大変なことです。

どこからこの熱意がでてくるんでしょうか。

安い宅地や家を自分でも探して買ったりもするユーチューバーです。

さらには売れなくなった別荘の売買のお手伝いまでしています。

もちろん、金銭をもらえば、違法になりますので、全てボランティアです。

言葉の量が豊かで、解説もていねいなので、とても勉強になる動画です。

何本も見ている間に、人が放棄してしまう土地の属性がよくわかるようになりました。

彼はバブルの頃に活躍した不動産会社を1つ選び、どういう商売をしたのかきちんと追いかけているのです。

磯村建設がその一例です。

この会社の名前を聞いたことがありますか。

テレビでかなり宣伝をしていました。

いつも最後に流れる会社のテーマソングが、頭の隅に残っているくらいです。

今回、あらためて、その曲を聞き、CMを見て、いろいろなことを考えました。

会社というものがどういう体質を持っているのかも、よくわかります。

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潰れる前の日まで

磯村建設が手がけた物件はかなりあります。

その中の1つが、この動画に示されたものです。

池袋から90分、東上線鉢形駅より徒歩18分、広い庭の土地つき一戸建て住宅という触れ込みです。

90分というのは1時間半です。

そこから歩いて20分というのですから、家から池袋に着いた頃には、もう疲れ切ってしまいます。

それでもサラリーマンにとっては夢のマイホームだったのです。

価格は1100万円台から1300万円くらいまで。

当時としては、なんとか手の届く値段だったのでしょう。

「はちがた」という駅名を知っている人は、それほど多くなかったでしょうね。

東上線の終点、寄居にかなり近い駅です。

それでも、みんな自分の家が欲しくて、手を出したのです。

黙っていれば、どんどん値上がりして、一生自分の家が持てないという不安感がありました。

給料も上がっていったので、なんとかなると判断したのでしょうね。

会社も潰れる前の日まで、営業をしていたようです。

この動画を見ていると、調査と制作にすごい手間と時間をかけているのが、よくわかります。

どうして、これほどに熱意が出てくるのか、不思議でなりません。

同じ頃に鬼押出しにあるサンハイツ「白樺の里」などという、とてつもない別荘も分譲されていました。

当時は区分所有型別荘マンションなどという、住宅の売り方まであったのです。

広告をよく新聞で見かけました。

磯村建設は倒産寸前まで、この別荘地の販売に力を入れました。

バブルの日々というのは、あまりにもはかない夢だったのです。

その様子をこの動画は痛いほど、感じさせてくれます。

みんな真剣だっただけに、なんとも悲しくて、やるせないですね。

現在の無惨な別荘地の様子を見て下さい。

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今日はここまで。

じゃあ、またね。バイバイ。