強靭な肉体
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
もう何年もメダカを飼ってます。
二十年は越えてるな。
毎年、冬になるけど、寒さでは死なないです。
ものすごく強い。
餌はやりません。
どうやって生きているんだろ。
なんにも食べずにただじっとしているんです。
冬眠ですかね。
その前にたくさん食べたということもありません。
ただ動きません。
春が来るまで、じっとしてます。
あの忍耐力を学びたい。
何が楽しいんだろ。
水があたたかくなると、突然の水面まであがってきて、口をパクパクやります。
そのあどけない姿が、いじらしくてたまらないです。
なにを我慢しているのか。
我が身を恥じます。

ただ面白いことはないかと、あちこちウロウロして定まらない。
本当に情けないよ。
少しは垢でも煎じて飲んだ方がいいかもしれない。
そんな気になります。
彼らは何なんだろう。
何度も言うよ。
ただ鉢の中に入れられて、これが世界のどの部分に置かれているのかも知らずに、長い冬を寒さに耐えるのです。
人間も同じか
同じだといってしまえば、人間も似たようなもんです。
確かに壺中の天という言葉もあるくらいだ。
なんにもしらずに、ただ外を眺めているのは、山椒魚と同じだよ。
井伏鱒二はよくいった。
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作家だけにさすがによく見えてる。
人間はどこからきてどこへ行くのか。

それもよくわからない。
何をしたいのかもよくわからない。
だからドーパミンが噴出するようなギャンブルをして、すっからかんになる。
おけら街道をとぼとぼと歩いて、また家に帰る。
安部公房の短編にもそんなのがありました。
ここがおれの家でないことをどうやって証明するのか。
己れがおのれであることを示すのも、実は難しいのです。
自同律の不快などという言葉もありました。
まさかメダカはそこまで考えてないでしょう。
カモンバとアナカリスの間をぬって、ただ動かない。
退屈じゃないのかな。
もういい加減あっちの世の中へ行こうという気にもならんのか。
ひたすら春が恋しいのですね。
気持ちはわかる。
しかしあまりにも痛々しいよ。
まさかお湯を入れて、春を呼ぶわけにもいかないし。
さて、どうしたものか。
明日も如雨露で水を足してあげましょう。
せめてもの、それが償いだ。
今日はここまで。
じゃあ、またね。
バイバイ。