【真田太平記・池波正太郎】9年間をかけて書いた時代小説の最高傑作

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真田太平記

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

本を読む人の数も減ってきたんですかね。

どんな本がベストセラーになるのかを見ていると、世の中の変化を感じます。

原因は何でしょう。

やっぱりスマホかもしれません。

長い文章を続けて読むのは苦痛になってしまったようです。

電車の中で、本を読んでいる人の数がめっきり減りました。

噂によれば、主語と述語の関係をとらえきれない人が増えたそうです。

それと同時に語彙が減ったのです。

ちょっと難しい表現がでてくると、すぐにギブアップ。

そこから先へは進めなくなります。

悲しい現実です。

1ヶ月近くかかって、全12巻をやっと読み終えました。

文庫本でも1冊550ページはあります。

ものすごい量の小説ですね。

1万枚に近い原稿枚数だそうです。

天正から元和にかけての40年間はまさに激動の時代でした。

武田、織田、豊臣、徳川と群雄が割拠した時代です。

その中で父真田昌幸を中心に2人の子、信之と幸村がどのように生きて死んだかのかを活写したのがこの小説です。

忍びの者といわれる人々に対してもその視線は実にあたたかくて優しいのです。

女忍びのお江、頭目の壺屋又五郎。さらに佐助。

登場人物が目の前にいるかのようです。

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主題は何か

主題は何かと問われれば、人は死ぬために生きているという人間観につきるのではないでしょうか。

逆にいえば、人はどのように死ぬのかという一点に己の美学を示すのかもしれません。

大阪夏の陣において、完全に破綻した豊臣方のために死んでいく真田幸村の実に堂々とした姿は一幅の絵を見るようです。

見事ですね。

すべての登場人物が、それぞれの生と死を思うさま演じているというところに、この小説の醍醐味があります。

これだけの長編を読んだのは、吉川英治の『新書太閤記』以来かもしれません。

しかしあれからはかなりの年数がたっています。

確か中学生時代でした。

これからもこれだけ長いものに挑むことはそうそうないに違いありません。

読了した今、実に多くの人間と同じ時間を生きたような錯覚にとらわれています。

その幸せは誰にもわからないに違いありません。

山を登った人にしかわからない、爽快感に似ています。

読書の楽しみはまさに同じ時を密かに共有できることにつきるかもしれないのです。

よくぞ9年間もの長い歳月をかけて完成したものだと、ただ驚くばかりです。

池波正太郎は多くの読者を今も獲得し続けています。

なんといってもぼくの好きなのは、鬼平犯科帳ですね。

なんとなく読み出すと、とまらなくなる。

人間に対する愛情と透徹した眼の確かさにその理由があるのです。

長谷川平蔵という人間はとにかくあたたかい。

それでいて、悪を憎む気持ちには芯が通っています。

だから一緒になって、心配をしてしまうのです。

いずれにしても楽しく心躍る1ヶ月間でした。

本なんか自分には縁がないと感じている人も多くいるでしょう。

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買っとくでいい

よく言いますね。

つん読とか買っ読とか。

これらはもちろん「積んどく」「買っとく」の掛詞です。

自分の気にいった本を身の回りに置いておくということは、実にいい気分のものなのです。

親戚知人が目の前にいるようなものです。

いつでも会える。

いつでも話ができるのです。

そういう意味でお勧めしたいですね。

古本で十分

お金がなかったら、新刊を無理して買うことはありません。

古本屋さんで手に入れればいいのです。

お気に入りの古書店を何軒かもっているだけで、世の中の流れがよくわかります。

できたらチェーン店ではない方がいいですね。

店主が自分の目で選んだ本が置いてある店。

そういう古本屋さんがあれば飛び込んでみてください。

審美眼が養われます。

明らかに、日常使う言葉を変わりますよ。

池波正太郎の世界を知れば、江戸が見えます。

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夜風が身に沁みてきます。

それじゃあね。また。