【コピー文化】なんでもランキング化される世の中は本当にOKなのか

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コピー文化

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今や、なんでもコピーができます。

音楽も映像もなんでもかんでもです。

デジタル化されたものは、まずOKでしょう。

もちろん、プロテクトをかける技術も日進月歩です。

それでもその技術を破ろうとする人たちがいます。

まさに追いかけっことはこのことですね。

新しい機器はかつて想像もできなかったことを次々と可能にしてくれました。

最近はカラーコピーもごく普通のことです。

ぼくのところへ持ち込まれるプレゼンテーションの書類なども、大変カラフルで美しくなっています。

ンピュータの世界ではCDもDVDもみんなコピーできちゃいます。

ソフトのコピーも容易です。

あれはできない、これはダメというものも確かにあるんでしょう。

しかし世界中でソフトを解析し、すぐにそれを破るソフトが出てきます。

タダのもあれば有料のもあります。

映像や、音楽レベルなら、ちょっとした本を買えば、これでもかというくらい詳しく技術が説明されています。

ぼくも以前はいろんなCDを焼いてみたりもしました。

今はそれもしません。

みんなサブスクで送信されてきちゃいます。

いちいち、DVD-Rに焼いたりするのも面倒臭い。

そんな世の中になってしまいました。

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サブスクの時代

少し前までは違法コピーの製品を不法に売るという商売もありました。

DVDやCDを並べて、上から潰してしまうなどという映像を流れてきました。

しかし今となってはそれも懐かしいです。

もうそういう手間はかけない時代になったのかもしれません。

ありとあらゆる映像がネット上にあるのです。

もちろん、不法なんでしょう。

そこに繋げることができる技術を持っている人なら、簡単に見ることができます。

確かに最新の映画は無理かもしれません。

しかし少したてば、それも可能になるような気もします。

あんまり無理をせずにちょっとお金を払って見る。

テレビはそのためのデバイスになりつつあります。

時間に制約されるのがイヤだという人も増えました。

自分の見たい時間にすぐ見られるという利便性には魅力があります。

ネトフリだとか、アマプラだとか。

ちょっと前のことを考えると夢のようです。

音楽ソフトのことを少しだけ思い出してください。

以前にはMDという装置がありました。

CDからコピーすることは可能でしたが、それを別のMDにはデジタル的にコピーできないシステムになっていました。

これも一種のプロテクト技術です。

しかしCD-RWの出現で、この問題は簡単に突破されてしまいました。

ゲームソフトも同様です。

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心の中まで

今までも新しい技術が生まれるたびに、1つずつ問題がうまれ、業界はそれに対応してきました。

しかし心の内側にまでこのテーマが忍び込んでくるとしたら、それは大変恐ろしいことです。

マスメディアは常にあらゆることに順位をつけます。

効率ということが前面にあるからです。

ある情報がつねに大衆にどの程度浸透しているのかを考える時、順位づけは必ず必要です。

ビッグデータがつねにコピーされ伝播していくのです。

それが最もお金になるということがわかってしまいました。

検索の膨大な堆積が世界をつくっています。

コミュニティがなくなった分、誰もがランキングに頼らざるをえなくなってしまいました。

その結果がスマホでコピーされ、すぐ隣の人の知るところとなります。

大衆操作

1位に輝く論理は、つねに隣の人間も知っている時代なのです。

このようにして大衆は操作され、自分の意見だと思っていたことが、他者と同じだということはよくあることです。

その日の朝、新聞で読んだことをつい誰かに自分の意見として語っているということに気づき、愕然とすることさえあります。

しかし気がついているうちはまだいいのです。

何も気にせずに、誰かの意見を自分のものにし始めた時から、危険な時代が始まります。

コピー文化の持つ最大の危機です。

自分のアイデンティティをどう保つのか。

他者との距離をどのようにとっていくのか。

なんでもすぐに調べられ、すぐに語ることのできる社会だからこそ、その恐ろしさをつねに知らなくてはいけません。

マスメディアの意見をそのまま自分のものにするのではなく、「自己」というフィルターを通す必要が常に求められる所以ですね。

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今日はここまでにしましょ。

じゃあね。