【鎌倉ふたたび】何度行っても武家文化の落ち着きがある町はいい

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鎌倉ふたたび

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

学生の頃、よく鎌倉へ行きました。

京都の公家文化とは違う、鎌倉特有の落ち着きが好きだったからです。

やはり武家の質実剛健と禅の香りがよかったからでしょう。

いつも必ず材木座海岸近くのユースホステルに泊まりました。

値段も格安で学生には本当にありがたい存在でした。

1日歩き続けると本当に疲れます。

それでも時には江ノ電に乗りながら、やはり自分の足で歩きたいのです。

鎌倉は歩く町です。

報国寺の竹はいつもさわやかでした。

杉本寺の階段をのぼると、よく猫が居眠りをしていたものです。

春は鎌倉にとってもっとも華やかな季節です。

どんな細い道にも花が咲いています。

切り通しの魅力も鎌倉ならではのものです。

道の突き当たりに可憐な花が咲いているのを見て、不思議な気分になります。

なぜか鎌倉にこの花はよく似合います。

死者がたくさん土の下に眠っている気がする土地なのです。

材木座の朝はさわやかです。

朝の空気は静かで凪いでいます。

潮騒も聞こえます。

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長谷観音

長谷の観音までは歩いてもすぐでした。

水子の霊を祀るという小さなお地蔵さんがたくさん階段に置いてあります。

誰がこんなに子供を殺してしまうのかと思いながら、階段を上っていくと、観音様はいつも大きくて静かです。

ずっと遠くを見つめています。

立像としてはこれほどに大きなものはないと聞きました。

ここの境内は好きな場所の一つです。

高台にあって海も見えるからでしょうか。

心が落ち着きます。

さらにもう少し歩いて大仏へというのが、朝のコースです。

いつぞやはここで知り合いの写真屋さんに会いました。

小学校の遠足だということでした。

そういえばぼくにもそんな写真が残っています。

ここからさらに歩いて、大仏裏の階段をずっとのぼります。

かなり嶮しい山道に入り、山越えということになるのです。

ずっと歩いて源氏山公園に着く頃には、かなりくたびれます。

だらだら坂を下って銭洗い弁天へおりていくのもよし、北鎌倉へ出るのもよし。

どちらもいいコースです。

山道を歩きながら、すばらしい家々を拝見するのもまた鎌倉の楽しみです。

本当に立派な家がたっています。

どんな人が住んでいるのか、いつも想像をたくましくしてしまいます。

文人墨客が好んで住むといわれるこの地には、やはり何かがあるのでしょう。

立原正秋の小説を読んでいると、また鎌倉かと思わされるほど、この土地ばかりが出てきます。

八幡様から出て鎌倉彫の店へ入ろうとする主人公は、そこで目の覚めるような美人に遭遇したりするのです。

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美術館

しかしそんなことがあってもいいなと思わせるからやはり鎌倉なのでしょう。

小林秀雄もこの地からでることはありませんでした。

美術館もあり、アカデミーもあり、文化の香りはつきるところがありません。

北鎌倉から歩き出すと、全く鎌倉も味わいが違ってきます。

東慶寺のたたずまいも大変素晴らしいです。

坂のようになった境内には本当にたくさんの墓があり、人の魂が安らいでいるのを感じます。

作家や詩人達の墓を見るとき、それぞれがなんともいえない様子で、特に自分の存在をひけらかすわけでもなく、本当にひっそりとしていることに驚かされます。

死んだ人はよっぽど生きている人間より静かなものだとしみじみ感じてしまう瞬間なのです。

ここからあじさい寺や寿福寺、さらにいくつもの寺を巡りながら鎌倉駅まで戻るのもいいですね。

禅の文化

鎌倉の魅力は禅の文化です。

静謐な悟りを要求します。

かつて源実朝はここの海から船をしたてて渡海を試みたと言われています。

世に言う「実朝出帆」です。

彼は僧、陳和卿に勧められて何を海の彼方に見ようとしたのでしょう。

詩人であった実朝にはきっと見たいものがあったはずです。

鎌倉は海と山に囲まれた豊穣な土地です。

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円覚寺の山門をみながら家路につく頃、必ず秋のうちにもう一度来ようといつも心深く決めてしまうのです。

今日はここまでにしておきましょう。