【やしゃご】どういう漢字になるのかで少し悩んだ【曾孫の子】

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曾孫の子

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今回は誠におめでたい話です。

知り合いに「やしゃご」が生まれるという話を聞きました。

ご存知ですか。

孫がいて、曾孫がいて、その次が「やしゃご」です。

今は長命の時代ですから90歳を過ぎてご存命ならば「やしゃご」に出会える可能性がないワケではありません。

あるいは子供が非常に早い年齢で孫を産むと、そういうケースも多いですね。

最近は晩婚の人もいれば、非常に早く結婚する人もいます。

その後に生まれるのが「やしゃご」です。

ぼく自身が自分の「やしゃご」に出会うということはまずないと思います。

というか、100%ないですね。

もしあったとしても、100歳をはるかに超えて、認知症になり、もう誰だか分からないというような状態になるかもしれません。

しかしそれでも一族が続くのはいいことです。

一族が次々と生まれて家系が続くのは誠に結構じゃないですか。

昨今はどの家でも自分の血統が絶えてしまうという話をよく聞きます。

墓じまいなどという話もあります。

田舎から持ってくるというのもありますね。

しかしその世代が消えたら、お墓はどこへいくのか。

子供がいなければ、そこで全てが途切れてしまうということにもなります。

後継者が誰もいないというような話もよく耳にします。

そういう時代の中です。

「やしゃご」が生まれて誠におめでたいです。

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「やしゃご」という漢字

ここで悩みました。

「やしゃ」という響きで最初にイメージが浮かぶのは「夜叉」です。

まさか生まれたばかりの赤ん坊に夜叉はないでしょう。

調べてみたら、夜叉とはインド古代から知られる半神半鬼のことだそうです。

もとは光のように速い者、祀られる者を意味していたとか。

神聖な超自然的存在なのだそうです。

確かに赤ん坊は超自然的ではありますがね。

半身半鬼はあんまりです。

よく考えてみると曾孫から先のイメージはありません。

再び調べました。

『玄孫』と書くのです。

「玄」という漢字は奥深い意味を感じさせるのだそうです。

奥深い道理とでもいったらいいのでしょうか。

日本人はよく「幽玄」などという言葉に使います。

能などには必ずでてきますね。

奥深い孫というのは、なかなか味わいのある言葉です。

この不思議にちょっと感じ入った次第です

かつて読んで本の中に何世代も一族が続く物語がありました。

コロンビアの作家、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』です。

日本にそれほど多くの読者がいるとは思えません。

文学好きの人だけでしょうね。

ラテンアメリカ文学の大傑作です。

1982年にノーベル文学賞を獲得しました。

大長編です。

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ストーリー

2人の人間を祖とする一族が村をつくり、隆盛します。

しかしやがて滅亡していくまでの100年間を舞台にした話です。

近い血縁での婚姻が続き、豚の尻尾が生えた奇形児が生まれてしまったりします。

その後、一族はジャングルを放浪し、新しい村「マコンド」を開拓するのです。

そして奇形児が生まれないように家訓を残して長老は死にます。

婚姻の相手は血の繋がりのない相手に限定するというものです。

純粋種に近づいてしまいますからね。

どうしてもマイナスの因子が集まってしまいやすいのです。

その後は皆が家訓を守ります。

村も繁栄します。

玄孫の代に

さまざまな人が生まれ死んでいきます。

登場人物の名前が同じなので、そこに読者は親近感を抱きますね。

「マコンド」は繁栄していきます。

しかし家訓がとうとう破られる時がきました。

それが玄孫の代なのです。

叔母と甥の恋愛結婚という形でついに破られてしまいます。

その後、「マコンド」は衰退と滅亡へと向かっていくのです。

どうですか。

読んでみる気になりましたか。

まさにこれが玄孫の出てくる小説なんですね。

今日はこのことばかりを考えてました。

じゃあ、またね。