【梅は咲いたか】風がやさしく頬をなでる春の季節が心底恋しいのだ

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梅は咲いたか

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

梅のつぼみがふくらんで、花が咲いていますね。

やっと春の兆しが見えるようになりました。

朝起きると、日の光がつよくなったのを肌で感じます。

まだ気温は低いですが、もう少しの辛抱です。

まさに三寒四温の日々です。

「早春賦」という有名な唱歌があります。

いい歌詞です。

古語ですから、少し意味をとるのが難しいですけどね。

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歌詞

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず

氷融け去り  葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃か

意味

春とは名ばかりの風の寒さです
谷の鶯は 歌おうとするものの
まだその時ではないと 声も出しません

氷は解け 葦が芽吹く季節です
もう春が来たかと思ったものの あいにく
今日も昨日も雪模様です

春だと聞かなければ
知ることもなかったのに
聞いてしまったら気持ちがせいて仕方がありません
この気持ちをどうしたらいいのでしょうか 
本当に今の時期はやるせないのです

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この詞を書いたのは当時、東京音楽学校の教授だった吉丸一昌です。

古語の響きが実にきれいですね。

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もうすぐ春

今日も紅く咲いた梅の花をしみじみと眺めてしまいました。

もうすぐ春です。

楽しみです。

また風がやさしく頬をなでる季節がやってきます。

かつて染織家の志村ふくみさんの『一色一生』という本を読んだことがありました。

そこにはなるほどと感心させられたことが書いてありました。

まだ咲く前の桜の枝を煮詰めると、淡い桃色に水が変色していくのだそうです。

ところが咲き終わった木の枝をいくら煮詰めても、なんの色もでないとか。

生きる力は咲く前の枝に全て閉じ込められているのかもしれません。

徒然草にもそうした記述があります。

命はいつも正直です。

だからこそ、見る人間を試しているのかもしれません。

真っ正面から向き合おうとする人にしか見えない真実というものが、この世にはたくさんあるような気もします。

天然の色に染めるということは、自然の持つ命をそのまま繋ぎとめておくという意味なんでしょう。

花が咲いたら、もう色のエッセンスは全て花びらの中に吸い込まれていきます。

逆にいえば、咲く前の枝には桜の命がそのまま眠っているのです。

これが不思議でなくて、なにが不思議でしょう。

この一節を読むたびごとに、いい本だなとしみじみ思います。

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何も見えない

ぼくにはまだまだ自然の命が見えません。

本当に無念です。

時の流れがいつかそうした目を作り出してくれるのでしょうか。

それも今はわかりません。

ただひたすら美しいものを見たいと念じる必要がありますね。

By: Andy Powell

心の中を空にしないとダメなのです。

評論家、小林秀雄は言いました。

花の美などというものはない。

ただ美しい花がそこにあるだけなのだと。

待ち遠しい日々

とにかく春の来るのが待ち遠しい今日このごろです。

今週末には、随分暖かくなるという話です。

あっという間に花が咲いて、また心が乱れるんでしょうね。

梅は咲いたか、桜はまだかいなとはうまいことをいったもんです。

はやくはやくとせかしてみても、全ては自然のなせる業。

無力な人間には何もできません。

とにかく待ちましょう。

立春も過ぎました。

今はまさに冬至と春分の中間にあたります。

いよいよひな祭りですね。

ではまた。