【生きる自然】命を生み出すことの不思議さをあらためて考える

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生きていくこと

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

いのちというものは不思議なものですね。

あらためて考えてみると、謎だらけです。

これだけ科学が発達したといっても、いのちを生み出すことは容易なことではありません。

結局いのちのあるものが次のいのちを作り出す以外に方法がないのです。

当たり前だといってしまえば、それまでのこと。

なぜ死んでしまうのかも不思議です。

人間だけが自分の死を想像できるのです。

多分、ほとんどの生物は何も考えずに生きて死んでいきます。

その瞬間に自分がどうなるのかを知らずに、日々生きているのです。

夏目漱石に『思い出す事など』という作品があります。

彼はほとんど死にかけたのです。

その時の様子を後になって描いたのが、この小品です。

彼はもっと苦しい状況を想像していました。

しかし後になってみると、ただ意識がなくなっていっただけで、なにもなかったと記しているのです。

きっとそういうものなんでしょう。

つい最近亡くなった作家の石原慎太郎も死は虚無だと語っていたそうです。

つまり何もない。

そういう場所へ知らぬ間に連れていかれるだけなのです。

我が家にもたくさんのいのちが生まれました。

昨年のことです。

偶然のように買ってきたメダカが、次の生命を作り出したのです。

それを大切に網ですくって別の水槽に入れました。

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新しい命

すると数週間後に、糸クズのような新しいいのちがうまれたのです。

目だけが黒く点のようでした。

かれらの一生はだいたい1年だといわれています。

だからもう次の生命を彼らが今度は生み出さなくてはなりません。

病気になって死んでいったものもいます。

大きくなれずに、ひれを腐らせてしまったのもいます。

自然淘汰というのは厳しい現実です。

そのまま他のメダカと一緒に入れておくと、病気が伝染すると書いてありました。

そこでビオトープをつくり、移したりもしました。

たった2匹のために水生植物を買い、鉢を買い、沼にあるという土まで買い込みました。

おそらく近いうちに死んでしまうだろうと予測していたからです。

ところが長い冬が終わり、水がぬるむ頃になってふと見ると、中で泳いでいるではありませんか。

餌もなにもやってはいませんでした。

時々、水を足した程度です。

真冬は零下になったことと思います。

それでも春になって鉢の中で泳いでいる姿を見て、不思議な力を感じました。

生きるということの強さに感動しましたね。

あんなに小さな命が、厳しい冬を越えたのです。

何も食べていないと思います。

餌など1度もやった記憶がありません。

苔でも食べていたのでしょうか。

あるいはひたすら冬眠です。

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春になったら

あたたかい日が何日か続くと、急に元気になります。

水面までやってきて、しきりに口をパクパクさせているのです。

餌をやりました。

かわいいもんです。

今年もたくさんの生命が再び生まれることでしょう。

熱帯魚の店へいくと、きれいな魚があたたかそうな水槽の中を泳いでいます。

心地よさそうです。

見ているだけで心癒されますね。

以前、本格的にやってみたいなと思ったこともありました。

水蓮鉢

確かに酸素をやったり、毎日餌を与えるのも1つの方法です。

しかし外に置きっぱなしにした水蓮鉢の中にいるメダカの方がどこまでも自然ですね。

尾の枯れる病気にかかるのもいます。

それでも逞しく泳いでいるのです。

メダカだって、みんな五体満足というワケじゃありません。

なかにはお腹が異様に膨らむのもいる。

しかし生命は不思議です。

そしてだれにも作れない。

そのことを考えると、あらためて厳粛な気持ちになります。

あの糸くずみたいなメダカの子供はほとんどが死にます。

それでも数匹が生き残り、次の子孫をまた生むのです。

人間とどこが違うのか。

全く同じじゃありませんか。

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今日はここまでにしておきます。

じゃあまたね。