【浅草・江戸情緒】時々どうしても行きたくなるこころの故郷

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浅草

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

オミクロンの攻撃にもウンザリですね。

もう丸2年です。

先日、3度目の接種をしてきました。

この先、何度ワクチンを打てばいいんでしょうか。

行きたいところがたくさんあるのに、どこにも出かけられません。

そんな中、時々どうしても訪ねたく場所があります。

それが浅草なんです。

士農工商と言われた江戸時代、一番心豊かに生きていたのは工商と呼ばれた町人たちでした。

両国風景なんていう俗曲をご存知ですか。

実物はとても長いのですが最初の歌詞だけご紹介しましょう。

両国の夕涼み、軒を並べし茶屋の数 団扇店 揚弓場 そのほかあまたの諸商人
川のなかでは テケテン馬鹿ばやし 売ろ売ろ船に影芝居 屋形屋根船ある中で
橋の上には数万の人の声 虫売り麦湯売り西瓜のたち食い 本家烏丸枇杷葉湯

ここには江戸時代の庶民の暮らしがそのまんま出ています。

ほとんどの人が、隅田川を中心とする浅草近辺に住んでいました。

いわゆる下町と呼ばれるところです。

浅草寺周辺の味わいはやはり特筆ものですね。

最近は新しいビルも随分できました。

町もきれいになって、かつての浅草じゃありません。

それでもやっぱりなんともいえない味わいがありますね。

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江戸っ子

かつて演芸ホールの前にあるお煎餅屋さんで道を訊ねたことがあります。

店先でおせんべいを焼いていたおじさんがこの道をまっつぐいけばいいんだと教えてくれました。

その瞬間、いいなと思いましたね。

今どき、「まっつぐ」なんていうのは落語の中にしか出てこないセリフです。

きっとぼくが落語をやっているのも、そのあたりに理由がありそうな気がします。

古いものを探しているんでしょうね。

一言でいえば江戸情緒です。

粋でいなせなあの風情は、やっぱり土地柄と深い関係があります。

最近は池波正太郎の本ばかり読んでいます。

あまりにも現実にコミットしすぎた作品はつらいです。

それでいて、まったく浮世離れした小説も読みたくありません。

そうした気分に一番しっくりくるのが彼の作品なのです。

池波正太郎はもう随分と前に亡くなってしまいました。

しかし浅草で生まれ、ずっとこの土地で生きた作家です。

西浅草の台東区中央図書館内には、池波正太郎記念文庫もあります。

ここには彼の書斎がそのまま再現されています。

まるでそこで生活しているかのようです。

1度は訪ねてみてください。

彼の作品世界は、この土地を離れては成立しません。

生まれ育った地域の風景と土地勘のようなものが、縦横に生きています。

土地の名前だけでなく、そこにある風景が本当に目の前に蘇ってくるのです。

一言でいえば懐かしいということでしょうか。

『剣客商売』も『鬼平犯科帳』もそうした土地の匂いに支えられて成功したシリーズだと言えますね。

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落語の舞台

浅草はまた落語の舞台でもあります。

吾妻橋の上から身を投げようとした男を助けるという「文七元結」という噺をきいたことがありますか。

浅草からちょっと離れた根岸の里が出てくる「茶の湯」も面白いですね。

あるいは遊女三千人御免の場所といわれた吉原遊郭にしても、本当に豊かな題材に満ちた場所なのです。

今はなんの面影もない吉原の地を歩きながら、ぼくの古くからの友人の家の辺りを歩いたこともあります。

友人の母上は実に気っ風のいい下町の人でした。

本当にぼくによくしてくれたのです。

ああいう気持ちのいいお母さんを生んだ土地というだけで、ぼくには浅草という場所が貴重ですね

堤にあがって、隅田川を眺め、待乳山聖天へも赴きました。

この寺の門前で、池波正太郎は生まれたのです。

向島

川を渡った東側の土地は、永井荷風の作品に出てくる有名な場所です。

『墨東綺譚には玉の井遊郭の様子が実に的確に描写されています。

永井荷風の小説です。

1日、向島のこの遊郭跡を歩くと、当時の暮らしぶりがよくわかります。

道が真っすぐではありません。

あちこちで折れ曲がっています。

先が見通せないように作られているんですね。

向島百花園の風情も格別です。

浅草はとにかくいいところなんです。

ブログを書いていたら、どうしても行きたくなりました。

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憎いのはコロナです。

じゃあね。

See You Again。