春よ来い
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
毎日、寒いです。
悲しくなります。
雪が降るなどという予報を聞いているだけでつらくなります。
今年は特に寒い。
昨日の話では青森県の酸ヶ湯温泉の積雪量がなんと4メートルだといってました。
実はかなり以前に1度訪ねたことがあるんです。
それも真冬。
たった1人で車を運転して出かけました。
あんなにすごいのは初めてでしたね。
とにかくどこに道路があるのかよくわからない。
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ひたすら前だけをみていきました。
2度と御免こうむります。
せっかくだからというワケで、温泉にも入りました。
出てからおそばを食べ、さて帰ろうと思ったら、どこにも車がないのです。
確か、このあたりだと思って探しました。
ひたすら掘り返して、なんとか市内まで辿り着いたというワケです。
あんなのもうイヤです。
それに比べたらやっぱり桜じゃないですか。
春は桜ですよ。
あと1か月半。
ひたすら我慢です。
春爛漫
春、爛漫たり。
いい言葉ですね。
今はその様子をただ想像するのみです。
桜がみごとに咲くと、気分が一気に開きます。
なんといういさぎのよい花でしょう。
日本は四季のはっきりした国ですね。
季節の移り変わりがこれほどみごとに息づいた風土はありません。
それにふさわしい文化が生まれるのは当然のことです。
あんなに寒さに苦しんだ果て、一気に春が訪れるのです。
青森の桜もいいです。
弘前城の桜には怨念がこもってますよ。
和歌も俳句もこの季節感に支えられているのです。
桜は咲くときも美しいけれど、散るときもまたみごとなものです
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散華という言葉はよく戦争などの時に利用されてしまいました。
元々はそんなニュアンスを含んではいなかったのです。
大和魂という言葉と同じ不幸な運命をたどりました。
ぼくが好きなのは枝垂桜です。
これはいい。
色も素晴らしいです。
平安神宮の庭園にある枝垂桜は見事ですね。
あれをみたらもういいか。
そう思ってました。
しかし京都は奥が深い。
秀吉が花見をしたという醍醐寺の桜もすごかった。
醍醐の花見
慶長3年3月15日(1598年)の話です。
豊臣秀吉がその最晩年に花見の宴を開きました、
それが醍醐寺です。
ここの桜は本当に見事ですね。
ここまで花が咲くのかというくらいです。
言葉もないよ。
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もう桜はいいかなと思っていたら、秀吉の正室ねねの寺もありました。
高台寺の枝垂桜です。
なんということもなく祇園からぶらぶらと坂を上っていったのです。
完全に圧倒されました。
たった1本の桜が持つ迫力のものすごいこと。
桜と狂気
桜に1番あう言葉は何かと考えてみると、それは狂気だろうと思います。
どこか人が狂っていく時の様子に思えてしまうのは、ぼくだけでしょうか。
坂口安吾は桜の樹の下には死体が埋まっていると言いました。
まさに狂気の一端かもしれません。
確かに死人でも埋まっていなきゃ、あんなことにはなりません。
本当にきれいだものね。
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銀閣寺から哲学の道を歩いた時もそうでした。
ため息しか出ないよ。
大学へ行くんなら、京都がいいですね。
あの桜を見た時、どうしてこっへ来なかったのかとしみじみ悔やみました。
心中の道行きにも桜の花吹雪は必須です。
こうした風景に死や狂気が似合うというのも、また日本の風土なのかもしれないのです。
今日はここまで。
はやく咲かないかな。
See You Again。