みんな一緒
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
いつの頃からか、なんでも一緒なのがこの国のやり方だと思って暮らしてきました。
同じ島の中に似たような人種が住んでいるのですから、それも無理のないことではあります。
みんな一緒に幸せになろうという国の方針も、ある意味では価値があったのです。
もちろん、産業界からの要請も同じでした。
とにかく均一の高い労働力を求める声が高かったのです。
経済成長が進む中で、仕事は複雑化しそれにあわせて、労働の質も高まりました。
難しい要求にも応えてくれる人たちがたくさん欲しかったのです。
まさに団塊の世代の論理です。
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あれから数10年。
いよいよ今度は2025年問題です。
みんなあの世代が後期高齢者になるのだ。
信じられますか。
日本は今、縮む一方です。
給料もあがらない。
金利もないから、銀行に預けておくとむしろ減るのです。
若い頃はどうだったのか。
10年郵便局に預けたら、預金が倍になりました。
5年で1.4倍だった。
すごい成長をした時期があるんです。
だからみんな兵隊になって働いた。
団地から一軒家にうつって住宅すごろくも上がりでした。
なんとかここまで
みんな一緒になってやっててもうまくいったんです。
しかしだ。
ゆとりを持てとか言われて、さてどうしたものか。
もうそんな伸びしろがないんだから、慌ててもしょうがありませんよという話です。
みんな一緒じゃなくてもいいということになってきたのです。
ゆとりとは言葉を返して言えば、好きなようにしろということです。
お金のある人は好きなように子供を教育し、ない人はお仕着せだけのもので済ませなさいということなのです。
つまり格差社会の到来なのだ。
2000万円の貯金がないと、老後は生きられないよと脅かされてます。
子供を大学に入れるのも塾へ行かせるのも本当にお金がかかりますからね。
いい気になって学費につぎ込んでると、自分の方に回ってきません。
有名大学への進学実績はそのほとんどが中高一貫の私立に握られています。
公立側からの巻き返しも行われていますが、まだ途上です。
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つまり経済的にゆとりのない層は、そうしたステージへ進むことも許されなくなっているのです。
似たような家庭の子供が集まる学校は、さぞや居心地のいいものでしょう。
しかし社会の構造とは明らかに異なっています。
少し前なら刻苦勉励型の子供もいました。
今は非常に少なくなっています。
親が模範となる後ろ姿を見せられない社会になっているからです。
朝から夜遅くまで農作業をしている父親の姿を見て、学ぶ子供の数は極端に減っています。
店でずっと働き続ける親を持つ子も少ないのです。
つまり大多数の親は雇われ人となり、その労働現場を子供は見ていません。
疲れたお父さん
父親の背中はいつも疲れ切っていると、子供にみえるのです。
そこにモデルとしての勤勉や向上の図式が十分には見えません。
そこへもってきてこの縮小パターンです。
シュリンクとでも呼べばいいのかな。
なんだか元気のない国になっちゃいました。
現代はある程度忍耐力と集中力を持った子供にだけ、その先の社会が開かれているのが現状です。
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フリーターの未来は暗いです。
そのことはいくつものデータが示しています。
みんな一緒の幻想なんて壊れました。
これからはアメリカ型勝ち負けの社会にますますなるんでしょう。
中流意識も変化していくワケです。
夢のまた夢
そういう社会の中で、どうて生きていくのかということを、真剣に考えなければなりませんね。
みんな一緒の時代なんてとうに去りました。
1人1人にとって本当の意味の戦略が必要になる時代が到来したのです。
さりとてどうしたらいいものやら。
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ウロウロあたりを見回してみてもあんまりモデルになりそうな人がいません。
みんな右往左往してます。
ここいらで、考え方を根本から変えないとね。
とかくメダカは群れたがる。
マイペースで生きていくのも大変なんだよ。
じゃあね。
See You Again。