【改行と句読点】文章の命はまさにここにあるのです【究極の熟練技】

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改行と句読点

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

文の極意はなにか。

答えは簡単です。

改行と句読点が全てなのです。

これはぼく自身が文を書きながら自然に会得したことです。

言葉をかえれば、間(ま)です。

当然、話の仕方にも通じます。

改行すれば、自ずからそこに空白が生まれますね。

改行のない文はべったりしていて読みにくいのです。

文は空白で読ませるのです。

日本画みたいなもんかな。

キャンバスを全部絵具で塗りつぶす油絵とはそこが違うのです。

句読点も同様です。

どこに点をうつのかというのは大変に難しいもんです。

ある人は呼吸だといいます。

その人の肺活量に負うという話を聞いたこともあるね。

ずっと読点をうたずに文を一気に読ませるには、よほど文の質が高級でなければなりません。

最近亡くなった作家では古井由吉ですかね。

御存知ですか。

彼の文には読点がほとんどありませんでした。

1つの文のなんと長かったことか。

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城の崎にて

志賀直哉の『城の崎にて』を授業で扱ったことがあります。

読み直してみて、やはり名文だと感心しました。

たいした話じゃないのです。

電車の事故で死にかかった著者が、但馬の温泉へ湯治に行った時の、身辺雑記です。

しかしその目は実にしたたかです。

生きるものと、死んでいく者との間に境がないのです。

生の中に死が潜んでいることを、実にみごとに描き出してます。

内容はともかくとして、今回何度も読み返して驚いたのは、文章にあまり改行のないことでした。

たいした枚数でもない作品です。

だから少ないのだと言ってしまえばそれまでのことです。

しかし印象として、志賀は改行を多用する人だと思いこんでました。

小説の神様という異名はもう今の人には通用しませんね。

しかし弟子筋にあたる安岡章太郎などはやはり原稿用紙にそのまま原文を写して勉強したらしいのです。

志賀直哉の息と間を体得するには、それが一番手っ取り早かったに違いないですね。

この小説には会話もそれほど多くはありません。

『赤西蠣太』や『暗夜行路』などとはまた違った趣です。

多分、雑記風にまとめるということを意識した上での、改行なんでしょう。

寂しいとか静かだという表現が全編にわたって目立ちます。

これも死を強く印象づけるための装置になっているみたいです。

文章の極意をここにもまた一つ見たような気がしました。

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練習

ブログをもう3年近く毎日書いてます。

こっちのは弟分だから、まだ3か月程度ですけどね。

やっぱり慣れてきます。

これは怖ろしい。

長い文章が書けなくなりました。

どうしても途中で切りたくなる。

流れを自然にするにはなんといっても一文一義です。

グチャグチャしたらもうダメ。

何を言ってるのか、その場ですぐにわからなかったらもうアウトです。

本当は後で読んでみるのが1番いいですね。

とにかく書いてみる

これだけです。

やってみてください

ブログを書きたい人はちょっと始めてみてください。

きっといいことがありますよ。

これは保証します。

世界が新しい色にみえてくる。

これも間違いなし。

間をどう持つか。

それができたらなんでも書けます。

改行と句読点をどうつけたらいいのか。

それを知るために始めてみるのもいいですね。

絶対一生の財産になるよ。

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今日はここまで。

じゃあね。

See You Again。