歌は世につれ
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
昔からよく言われる文句がこれです。
歌は世につれ、世は歌につれ。
本当なんでしょうか。
なんとなく語呂がいいので、つい口にしますけどね。
前半が真実に近いのに対して、後半はさてどんなものか。
かなり前、亡くなった作詞家の、なかにし礼がNHKで3時間にわたって歌謡曲史を語った番組がありました。
軍歌、戦時歌謡から戦後の歌まで、その変遷はあまりにも急激です。
シャンソンの訳詞をしていた彼がいつの間にか歌謡曲を量産するまでになった話は聴き応えがありましたね。
しかしかつてスターと呼んだ雲の上の人たちが現代にはもういません。
歌謡曲と言われるジャンルも急速に衰退しています。
ちょっと前にはサブスク型ネット配信の時代が来るなんて、誰も予想していませんでした。
レコードがカセットに、さらにMDからCDへ。

それとともに音響機材もめまぐるしくかわりました。
メーカーも時代に乗り遅れた会社は潰れちゃいました。
音楽に携わるあらゆる人がレコード会社専属だった時代もあったのです。
音楽出版というものをつくりあげたプロダクションもたくさんありました。
Jポップの時代もストリーミングが中心です。
Kポップも〇〇坂48もある種のしかけを通してしか、今や音楽の最前線に出られません。
歌謡曲
暮れの紅白を見ながら、なんとなく人の哀しみが抜け落ちた歌ばかりだなと感じました。
けっして世の中が歌にあわせて変化しているわけではないのです。
テレビ局が全てを牛耳っていたかつてのスター誕生番組も今では夢です。
ジャニーズ事務所も御大が亡くなってどうなるのか。
時代がかわりましたね。
演歌が生き残る場所なんてあるのかどうか。
心細いですね。
聴衆の前で歌うことなく、ただ口をあけているだけなのに、それでいて人気があるという女性グループさえある時代です。
ポップスにも哀しみはあります。
しかし演歌の持つ土臭さはありません。

人の中にそれだけ哀しみがあふれかえっているからなのでしょうか。
美空ひばりの歌につい耳を傾けてしまいました。
氷川きよしが歌った「歌は我が命」がそれです。
かなり前の曲ですが、彼は最近よく歌っているみたいですね。
歌詞はちあきなおみの曲をたくさん書いた人のものだそうです。
途中に美空ひばりの気持ちを綴ったような箇所があります。
光と影
この歌詞は多分に彼女の人生をうつしているんでしょうね。
その苦しさをイメージして書いたものだと思います。
この後にそれでも私の歌をきいてくれる人がいるから私は歌い続けるんだという叫びにも似たフレーズが続きます。
芸人というのは裏と表がありますからね。
光があたればあたるほど、影は暗いのです。
美空ひばりの実人生もまさにそうだったのでしょう。
聴いてる人はそこに彼女の哀しみをかぶせます。

だからなおいっそう輝いて聞こえるのです。
氷川きよしにそこまでの覚悟があるのかどうか。
彼もいろいろといわれてますからね。
きっとつらいことも多いんでしょう。
いずれにしても昭和はとうに彼方へ去ってしまいました。
マイウェイ
この曲を聴いているうちに、ふとフランク・シナトラの「マイウェイ」を思い出しました。
曲想も似ています。
「歌は我が命」はもう1つの「マイウェイ」なんじゃないでしょうか。
内容にも通じるところがあります。

自分の生きていく道はこれしかないと思いきることでしか、人間は生きていけないんですね。
あまりにもつらいことが多すぎる。
隣の芝生は青く見えるもんです。
しかし実際にその中に入れば、容易ではありません。
人生は不思議なものですねという「愛燦々」のフレーズもかぶさってきます。
今日はここまでかな。
じゃあね。
See You Again。