【家族ごはん】一人称の幸せより土鍋で炊いたお米が身に沁みるのだ

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家族ごはん

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

突然ですが、なんでご飯を炊いてますか。

そりゃ、ナマじゃ硬くて食べられないからね。

そんな話をしてるんじゃありません。

どんな方法で炊いているかを聞いてるんです。

だいたいの人が電気釜だと答えるでしょうね。

それでいいんです。

ところが我が家では今年の夏ごろから土鍋になりました。

コロナでおうちにいる時間が長くなったからね。

せっかくだからおいしいごはんを食べましょうということになったのです。

もちろん、電気釜は便利。

タイマーをセットしておけば、決まった時間に炊き上がるしね。

保温もOK。

そりゃ便利です。

でも毎日家にいるんだから、自分で焚いてみるかという気になりました。

早速、ネットで調査。

安いのから高いのまで、いろいろあるね。

その中で、ちょうど真ん中あたりの2合炊きを買いました。

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超かんたん

ごはんを炊くのはもっと難しいもんだと思ってました。

昔からいうじゃないですか。

はじめ、チョロチョロ、中、パッパ、赤子泣いても蓋とるな、とね。

今まではそんなの関係ないの世界でした。

今度のはちょっと違います。

10分ぐらいたつと、ピーピーと泡を吹き出して教えてくれます。

そこから2分は火をつけたまんまにしておきます。

あとはガスを切って終わり。

20分も蒸らしたらできあがりです。

ガス台にのってる時間は20分もありません。

全部なかで自動的に調節してくれるんです。

耐熱ガラスなので上から中の様子が見えます。

最初はもっと複雑な工程なのかと思ってました。

こういうのも隋分と楽になったもんだ。

子供がたくさんいたら、まさか2合炊きというワケにもいかないし…。

やっぱり電気釜で盛大に焚く必要があるでしょうね。

しかしその時期を過ぎたら、ちょっとしみじみとお米の味を確かめたい。

そんな気分になるものです。

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一人称の幸せよりも

ちょっとわかったようなことを言わせてもらえるなら、結局人間は1人じゃ生きていけません。

物理的には生きていけるけどね。

精神的には急速に衰えるのだ。

やっぱり誰かのために生きてるような気がしてナンボなんですよ。

どんなことでもいい。

背中の痒いところを、ちょっとポリポリと掻いてあげた。

そんなんでいいんです。

つまり孫の手のかわりだ。

それが幸せというもんです。

ごはんもおんなじ

1人で食卓に向かうということもあります。

でも何人かでワイワイ言いながらいただくとなぜかおいしい。

なんでかな。

よくわかんないけどね。

どこかでだれかと繋がっているという確証が、ごはんの味に滲み出てくるのかもしれません。

慈しみというヤツでしょうかね。

キザな言い方をすれば、おふくろの味です。

これといったご馳走ではありません。

ものすごく高級な食材を使ったというのでもない。

しかしうまい。

そこに何かほのぼのとしたものがあるんです。

ごはんだっておんなじ。

自分で焚いてみてそう思いました。

ちっとも難しくない。

最近はパン焼き機も買い込み、3日に1度は焼いてます。

こっちは機械だけどね。

一人称の幸せだけを追いかけるのはつまんないね。

誰かが幸せになっている顔を見ながら、ごはんを食べたい。

そんな気がしてきます。

あなたはどうですか。

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ちょっとキザでしたかね。

じゃあね。

See You Again。