電信柱
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
突然ですがナゾナゾ。
目の前にあるのに見えないものなあに。
空気かな。
奥様かな。
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いろいろと考えてたら、電信柱のことを思い出しました。
全く鬱陶しい。
あんなものなければ隋分と町はすっきりするのだ。
事実、ぼくの家の近くに電信柱の全くない一画があります。
ここはいいよ。
空も広い。
ただし土地の値段も高いけどね。
無電柱化というのは進んでるんですかね。
話には聞くけど。
後で修理する時に面倒くさいのかも。
それよりお金がかかるのかな。
イタリア
イタリア人に関する本を読んでいたら、彼らは電柱が大嫌いみたい。
地上から消すことにことのほか熱心だそうです。
本当なのかな。
真実かどうか知りませんけど。
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しかしそう言われて見ると、日本はなんなんだ。
なんという数の突起物に囲まれていることでしょう。
空恐ろしくなってくる。
これほど空気みたいに存在している人工物はないかもしれないね。
なんとも無粋ですよ。
ゴチャゴチャといろんなものがくっついてる。
カラス
さらにカラスの群れだ。
夕方になるといっせいに鳴きだしてうるさい。
とにかくそこいら中にメチャクチャにあります。
でも見えないフリをしてる。
ポスターを貼る輩もいる。
昔は今よりひどかった。
選挙の前なんかベタベタで汚かったね。
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電話でお金貸しますとか。
自動車買いますとか。
これが時代の風景でした。
それほどの存在でいながら、ぼくたちはあんまりそれを気にしてない。
立て看板の餌食にはなってますけどね。
ちょうど倒れないので針金でグルグルとくっつけると都合がよろしい。
電柱がなかったら、どんな風景になるんでしょうか。
トレビの泉のまわりにも電信柱はなかったような気がいたします。
さっぱりした空間だけが記憶に残ってます
劇作家・別役実
ここまでくると、劇作家の別役実がなぜあれほど電信柱にこだわったのかが気になります。
ご存知ですか。
この人の芝居の背景はいつも電信柱と万国旗だけでした。
あとはリヤカーかな。
この背の高い物体くらい、日常性を秘めたものはないのです。
日常性なんて言葉はやめようね。
生活だ、生活なんだ。
彼の作品には必ずと言っていいほど、電柱が登場する。
それを見ているだけで、ぼくたちは安心するのです。
そこにうごめく人々の日々の暮らしを連想できるからね。
小市民のささやかな日常だ。
高い尖塔のある寺院の脇に、無粋なこののっぽのでっぱりはやはり似合わないでしょ。
絶対に似合わない。
昔、茨城県の某市に用事で行った時も不思議な明るさを感じたよ。
町の中に電柱がない。
失礼だがあんまり人気のない県です。
それにしてはやりおるわいと思ったね。
なんとなく明るい。
空を遮るものがないというのはいい。
全部とりましょ。
これから何年かかるのかしらないけど、取りましょ。
抜きましょ。
そうしたらもう少し爽やかな国になるよ。
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革命もなかったんだから、それくらいしたっていい。
ものすごい数のマスクを貯蔵して6億円も倉庫代に払えるのだ。
なんとかなるっしょ。
そんな気がしてきた。
今日はここまで。
みなさん、元気でね。
See You Again。