旧太洋村
みなさん、こんにちは。
ブロガーのすい喬です。
限界開発地の動画をなぜか時々見てしまいます。
なぜか。
なんとなく人間の哀しさを感じるからかもしれません。
『方丈記』の世界を想わせるのです。
兵どもの夢の跡をたどっているような気もしますね。
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この動画を作っている吉川祐介氏がつい最近、著書を出版しました。
『限界分譲地、繰り返される野放図な商法と開発秘話』(朝日新書)という本です。
さっそく読んでみようと思っています。
さて今回はもすごい話です。
バブルの頃にどうしても土地付きの家を、買いたかった人向けの物件の現在の姿です。
あの時代を知っている人にとっては、ちょっと悲しい話です。
東京に住んでいる人たちは、みんな家が欲しかったのです。
そのために働いたといってもいいくらいです。
しかし値上がりがひどすぎました。
今でも山の手線内にマンションを買うのは、至難の業です。
大手企業に勤めている人でも、1人だけの給料ではかなり苦しいですね。
夫婦共稼ぎなら、なんとかなるかもしれません。
しかし子供が2人もいたら、もうやめた方がいいくらいです。
それと同じことが、バブルの頃にもありました。
都下に買うことすら、大変だったのです。
極端な話、毎日土地が値上がりしました。
土地神話が日本人の骨の髄にまで浸みこんでいた時代です。
土地の値段は絶対にさがらない。
だから少々遠くても、手に入れようとしたのです。
それが茨木県の旧太洋村でした。
廃墟の村
バブル期には完全な乱開発地域でした。
わずかな土地に三角屋根の別荘が並んだのです。
鉾田市が2018年に行った調査では鉾田市内の空き家の約8割が旧大洋村に集中していた
といわれています。
今もその跡が無惨です。
都内につとめるサラリーマンは、週末になったらここへいって庭をつくり、花を植えようしたのです。
建材も1番安いものを使い、すぐに外壁が崩れるようなものでした。
それでも土地は残るとみんな信じていたのです。
だからこそ、今の風景が哀れで仕方がありません。
しばらくして、バブルがはじけ、今は放置された物件が、ただの廃墟になっています。
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当然、不法投棄もされ、道路も崩れ、次第にみえなくなるありさまです。
荒廃という言葉が1番ピッタリきますね。
吉川氏は実に丁寧にその様子を動画におさめ、なぜこんなことになったのかという現実を追いかけています。
人間は愚かだとしみじみ思いますよ。
あまりにも悲しいです。
子どもたちに残してあげようと考えたのでしょう。
放置されたままの家主たちが誰かも、今でははっきりしなくなっています。
親の財産を相続する気もない人が多いのです。
家を取り壊し、更地にするだけでもかなりの金額になります。
完全に捨て去られた土地なのです。
ぜひ、この動画を見てみてください。
人間の野望が断ち切れた瞬間からの変貌ぶりがみごとというしかありません。
今日はここまで。
じゃあね。バイバイ。