【セレクトショップ】生き残るための究極の選択とは【お客もつらい】

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セレクトショップ

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

近頃はセレクト・ショップなるものがはやってますね。

本屋さんを例にあげると、店主のセンスで選んだ本がところ狭しと並べられた店のことをいいます。

確かにちょっとかわった傾向の本屋さんが、いくつかぼくの通える範囲にもあります。

おもちゃや食品、CDなどとのコラボレーションもありということでしょうか。

現代はあまりにも選択肢が多すぎて、何を選ぶのかということだけで疲れちゃいます。

なみに自動車のカラー・バリエーションをみてみれば、そのことがとてもよくわかります。

どのメーカーも他社にはない独自の色を出しています。

似てはいるものの、やはり違うのです。

スマホもおんなじです。

品質、性能、色、形。

そのどれもが次々と変化し、1つとして同じものがありません。

昨日売り出されたと思ったら、今日はまた別の製品です。

ホントにどれを選んだらいいのかわからない。

確かに人に押しつけられるのはイヤです。

これを買えと言われたら、おそらく答えはノーでしょう。

そこに自分らしさを出したいのです。

しかし同時に選び続けることにも疲れます。

もう少し楽に商品をセレクトできないものかといつもイライラしてます。

多品種少量生産はまさに現代の合い言葉。

かつて松下電器は水道方式といって、同じものを上流から下流へ大量に流し続けました。

いい世の中でした。

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モノが飛ぶように売れた時代

本当に作れば売れた売れた時代があったのです。

しかし今ではそれも夢物語です。

誰もが個性を声高に主張します。

しかしやはり選び続けることに疲れているのも事実なのです。

そこに登場したのが、セレクトショップ。

自分の好みをある程度わかっている人がいて、そこへ行けば安心して品物が買える。

いわば自分のかわりに最新のアンテナをたて、商品をセレクトしてくれる人のいる場所がそれです。

洋服の好み、靴の好み。

みんな選んでおいておいてくれるのです。

けばけばしい色のものが好きでない人のためには、生成りや藍などの自然色でまとめられた商品だけが並べられています。

あるいは素材が同じものばかりで構成された店もあります。

本屋さんの例も同様です。

そこへいけば、自分好みの本があります。

だから安心していられる。

くたびれないのです。

しかしよく考えてみると、これも衰弱の1つなのかもしれません。

本当はどんなに疲れても、選び続けなければならないのではないでしょうか。

それこそが生きるということの不条理に通ずるからです。

アマゾンショップだって似たようなものかも。

選んでくれることの有り難さと、その矛盾をかかえてます。

これからもあえて自分で選ぶ生活を続ける意志をもたなくてはいけないのでしょうか。

毎月、定期的に配達してくれるなんていうのは、有難いのか迷惑なのか。

それもよくわかんないよ。

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今日はここまで。

じゃあね。

バイバイ。