【孫自慢と病気自慢】年齢を重ねてもこれしかないんじゃ悲しいね

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孫自慢

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

つい先日、ある新聞記事を読んでいたらこの2つのことが書かれていました。

年をとると、必ず孫自慢と病気自慢の話で、盛り上がるというのです。

そう言われてみると、なるほどそんな気がしないでもありませんね。

孫というのはもってみると、本当にかわいいものだそうです。

機嫌のいい時だけかわいがり、なにかものを買ってあげたりすればいい。

むずがったりしたら、親へ戻してしまえばいいのです。

どこか愛玩動物に似た要素を持っているのかもしれません。

しかし他人の立場になってみれば、孫の様子を語られても、それほど共感できるものではありません。

だからこそ、孫自慢はするなということなのでしょう。

さてなんと言ったらいいものなのか。

少し言葉につまります。

あんまり孫にものを買うなという話もよく耳にしますね。

業者は6つのポケットとかいって恰好のターゲットにしています。

両家のおじいちゃんとおばあちゃん、それに親の6人です。

このポケットのどれかを狙えば。ものが売れるというワケです。

ひな祭りあり、子供の日あり。

さらに誕生日も七五三もあります。

記念写真を撮ろうなどと言い出すと、専門の子供用写真館が近くにあったりするのです。

おもちゃ屋さんだって、スーパーみたいなのまでありますからね。

どこかで手ぐすねをひいて待ってるということになるのです。

あんまりどっぷりと浸かるのだけは避けないと、とんでもないことになります。

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病気自慢

もう一つが病気自慢です。

これは自慢という表現にはあたらないのかもしれませんけけどね。

しかしまさにぴったりの表現だといえます。

高齢者同士の会話となれば、ほぼ、どこが悪いという話になりがちです。

2人で話していたら、どっちがどれほど重いという自慢になります。

それぞれの症状を比較して遊んでいるようにも見えます。

血圧に始まって、内臓から心臓、どこが痛いなんていうネタは最高ですね。

膝、肘、腰、首。

とにかく曲がるところはどこも傷みやすいのです。

さらにはもっと複雑な病気もたくさんあります。

こうした時にもっとも優越感を抱けるのは、まさにより重い病気を抱えた方なのです。

これもばかばかしいといってしまえば、それまでです。

しかし日常風景そのものなのかもしれません。

病院の待合室での風景などというのは、この典型です。

先にその症状があらわれた人は、率先して自分の蘊蓄を語り始めます。

どこの医者にかかっているとか、どんな薬を飲んでいるとか。

いくらでも話のタネはつきないのです。

昔なら、嫁の悪口と相場は決まってました。

近頃は同居していないケースが多いので、やっぱり病気ですかね。

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やっちゃいけない

かくして、この2つのワナにとらわれない、全く新鮮な視点をつねに獲得しておかなければなりません。

そうじゃないと、実にみじめな老後を迎えるということになるのです。

とはいえ、現実はそれほど甘くはありません。

年金も次第に目減りする時代です。

貯金をしても、利息がつくワケではありません。

世の中は効率一辺倒で、勝ち負けばかりが目につきます。

さて自分の人生はどうだったのか。

そんなに簡単にわかるものでもありません。

経済が一人歩きをすれば、当然お金の話がメインになりがちです。

しかしこれはなかなか大きな声ではできません。

かつてのように向こう三軒両隣などという時代ではありませんからね。

もって瞑すべし

そこでやはり無難な話に戻るのです。

今の世の中はなどという物騒なネタをふると、スムーズに会話が進みません。

それよりどこのスーパーの方が品揃えがいいなどという話の方が無難です。

しかしもう少し背伸びをしましょう。

スマホを持って、世界の情勢をチェックしろとまでは言いません。

せめて新聞の投書欄を読んで、自分も投稿するくらいの気概は欲しいですね。

孫に絵本を読んであげるのもよし。

なにかの形で、少しだけ自分の残された人生に彩りを添えることを考えたいものです。

孫自慢と病気自慢だけではあまりにも寂しいですよ。

もって瞑すべしです。

じゃあね。

今日はここまで。

See You Again。