【袖すり合うも他生の縁】これだけが正解じゃないのだ【人生いろいろ】

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袖すり合うも

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今回はちょっとした悩みを告白させてください。

ぼくは人前で落語を喋るのを道楽にしています。

よく夫婦ものをやる時に、こんなセリフを言うのです。

縁は異なもの味なもの。
袖すり合うも他生の縁。
つまずく石も縁のはしくれ

これをやると、なるほど夫婦の縁というのは不思議なものだなと誰もが感心します。

ずっとこれでやってきました。

ところが先日読んだ本に違う表現が載っていたのです。

それにはこう書いてありました。

袖振り合うも多生の縁

なんかおかしいな。

しっくりこないのです。

「多少の縁」はあんまりだけど、「多生の縁」もヘンです。

「多生」とはそもそもなんなんだ。

それに振り合うなどいうのがあるんでしょうか。

聞いたことがありません。

本当かなと思って調べ始めたのです。

するととんでもないことが書いてありました。

ちょっとショックだったな。

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全部正解

この表現には次の8種類があることがわかりました。

なんと。

袖振り合うも他生の縁
袖振り合うも多生の縁
袖触り合うも他生の縁
袖触り合うも多生の縁
袖触れ合うも他生の縁
袖触れ合うも多生の縁
袖すり合うも他生の縁
袖すり合うも多生の縁

これが全部いいんだそうです。

新聞用語懇談会では全部正解としているとか。

なんじゃそりゃの世界です。

いつからそんなことになってるのか。

「袖」は着物の袖のことです。

これはわかりますよね。

それがすれ合うのか触れ合うくらいまでなら、まあいいか。

振り合うというのはどうも納得がいきません。

さらに言えばだ。

「他生」と「多生」はまったく違うでしょ。

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仏教用語

「他生」とは、現世である「今生」に対して、「前世・来世」を指す仏教用語です。

つまり「他生の縁」とは「前世からの因縁」を意味するのです。

つまりそれくらい縁があったということです。

「多生」もやっぱり仏教用語です。

「何度も生まれ変わること」を表すのです。

何度も生まれ変わつて輪廻を繰り返すことを「多生」と呼ぶのです。

だから「多生の縁」とは「何度も生まれ変わりを繰り返している間に結ばれた深い因縁」のことなのだ。

どっちがしっくりくるのか

本当のところはよくわかりません。

まあ、どっちかといえば、「他生」だよね。

あくまでもぼくとしてはという意味ですけど。

なんとなく道を歩いていて知らない人とすれ違うことがありますよね。

そんな時、着物の袖がすれ合ったり、触れ合ったりすることがあるもんです。

それがまさに前世からの因縁というやつです。

そうじゃないと、ボーイはガールと出会わないのだよ。

どんな出会いでも単なる偶然じゃないのです。

まさに一期一会

この世に生まれる前からの縁なので、大事にしないとね。

これならしっくりくる。

それ以外はイヤです

なんとしてもイヤ。

「多少」だけは絶対に認めません。

これは明らかに誤りだ。

新聞用語懇談会ってなんなんだ。

腹がたつなあ。

今日はここまで。

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じゃあね。

See You Again。