【断捨離】なんでも捨てちゃえば楽になるというのはやっぱり嘘かも

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断捨離

捨てる技術について書かれた本が毎年ベストセラーになりますね。

テレビでも似たような番組をよくやってます。

捨てられない人というのは、ある種の問題児なのかもしれません。

しかし片付けることの極意は捨てることにあると承知はしていても、それを実行にうつすのはなかなかに難しいのです。

全てのものに自分の匂いが染みついているんです。

過去の記憶が一つ一つのものに宿っているといってもいいかな。

そうしたものを全て過去の闇から引き出しつつ、どこかで価値判断をせまる。

どちらがより重要で、どちらがもう必要のないものであるのか。

当然いろんな記憶がついてまわります。

その全てについて、軽重を問わなければならないのです。

これは想像以上にきついよ。

しかし人は全てのものを持ち続けて生きていくことはできません。

極端なことをいえば、衣類も靴も装身具もそれほどには必要がないのだ。

写真にしたところで、全てをいつまでも守り通せるものではないしね。

その人間がこの世から消え、やがてその次の代になった頃、全ての記憶は次第に薄らいでいくんです。

寂しい話だけど、徒然草で兼好法師が語った通りなのです。

となれば、残すものはわずかにして、捨てなくちゃなりません。

特に師走と大掃除は非常に相性がよろしい。

今年こそなんとかやろうと思うものの、いざとなると面倒くさいね。

しかしやらねばならぬ。

それが生きていくということでしょ。

かくいうぼくにも捨てなければならないものはたくさんあります。

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本は面倒

今日の朝も本の整理をしました。

どの本にも思い出があります。

どこで買ったのかも覚えてる。

やっとの思いで手に入れた分厚い広辞苑は、新刊が高くて買えず古本屋へ走ったことも。

今でもその店の佇まいをよく覚えてます。

しかし捨てなければなりません。

もう辞書をひくこともなくなったよ。

今はすべてパソコンで済ましてます。

古い文庫本も捨てちゃおう。

そうしなければ、先へ進めない。

他にも捨てなくちゃならない本がたくさんある。

幸い、まだ読めそうなのは引き取ってくれるボランティアの団体があります。

午後も同じ作業を続けた方がいいのか。

あるいは日をあらためた方がいいのか。

何度も読みたくなる本など、そうあるもんじゃありません。

本というものの持つ宿命に思いを馳せると、もの悲しくもなるね。

鳴り物入りで売られた本も、案外命は短いものなのだ。

そこへいくと古典と呼ばれるものはすごいです。

何かがあるのだ。

また読み返したくなる。

捨てるものは本だけじゃありません。

あらゆる身の回りのものを少しづつ処分していかなくちゃならない。

昔の写真をみていると、歳月はきびしいもんだ。

だからこそ、また捨てなければならないのです。

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捨てれば楽になるの

とはいえ、なんでも捨てりゃいいってもんじゃない。

資料の類はほんとにあとで必要な時にないと困る。

全部データにしてとっておけといわれても、その手間が大変です。

以前ずっと持ってたケーブルの類いではほんとに泣いたよ。

パソコン関係のケーブルはやっぱりないと困る。

どうしようもないのだ。

見たい画像が出てこない。

ちょっと前なのに、機器をつなぐケーブルがもうどこの店にもない。

日進月歩だからね。

メモリーもそう。

型番が古いのをちょっと別のに使おうと思っても、捨てちゃったということがある。

取っておきたい

だからといって、なんでも取っておくのもつらいです。

よく家にこんなものがあったなんていう動画を見ます。

あれはウソだよ。

ちょこちょこと探したらあったなんて言ってるけど、ちゃんと大事に確保してあるのです。

間違いない。

騙された。

断捨離は完全なる善ではありません。

たまには実に面妖なお化けになるんだよ。

よく考えて捨てましょう。

とか言いながら、昨日古いパソコンを専門の業者に引き取ってもらいました。

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じゃあね。

See You Again。