【卒業・コマンスメント】旅人は雪呉竹の群雀泊まりては発ちの繰り返し

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コマンスメント

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

仕事柄、卒業式にはめちゃくちゃに出てます。

何回ですかね。

数えたことはありません。

学校というのはそれぞれに文化を持っています。

同じような式次第ではありますが、中身は違う。

恰好もそうです。

猛烈なところもあれば、やたらと地味なところもあります。

これも文化ですかね。

式歌もさまざまです。

かつては「仰げば尊し」ぱかりでしたが、次第にいろいろと変化しました。

「巣立ちの歌」などいうのも随分と歌いました。

「旅立ちの日に」もたくさん。

卒業というのは英語でGraduationといいます。

しかしぼくはCommencementというのが好きですね。

これはフランス語から来ています。

Commencerというのは始めるという意味の動詞です。

それを名詞形にしたものがCommencementなのです。

なんとなく業を卒するというより、始めるの方が響きがいいじゃないですか。

確かに1つの区切りで終わりをイメージするのも大切です。

しかしそこからまた始めるという方がなんとなく未来志向です。

いつの頃からか、ぼくの中では卒業は「コマンスメント」になりました。

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離任式の季節

離任式を終えると、1年間の締めくくりですね。

学校によっては4月に入ってからやるところもかなりあります。

理論的には3月の末日まで席はあります。

だから終業式の日にお別れの儀式をしてしまうのは、いけないのかもしれません。

しかし新1年にとっては知らない先生がお別れだと言って登壇されても、ピンときません。

やっぱり3月中にやってしまった方がスッキリします。

卒業式を終えて2週間後くらいに終業式をする学校が多いみたいです。

すると卒業生たちがたくさん離任式に押しかけてくるという構図もありました。

生徒に愛されていたんだなというのが実によくわかる光景でしたね。

今はどうなんでしょうか。

4月に離任式ということになると、みんな忙しくてなかなか集まれなくなります。

イベント的には3月がいいような気もしますけど。

それもこれも時代の流れです。

教育委員会とかなんとかいろいろと指示を出す機関があります。

校長は従わなくてはならないのでしょう。

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旅人は

昔からよく使う言葉がありますね。

年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず、がそれです。

どうやらこの世の真実を言い当てているようです。

しかし花は確かに似てはいますが、それも厳密にいえば同じものではありません。

つねに流れて過ぎ去り変化していく。

それがこの世なんでしょう。

落語の稽古をしていると、ああいい表現だなと思うものによく出会います。

その1つがこれです。

旅人は雪呉竹の群雀泊まりては発ち泊まりては発ち。

もちろん泊まると止まる、発ちと立ちが掛詞になっています。

「ねずみ」とか「抜け雀」などという噺のまくらには必ず使われる太田蜀山人の歌です。

人もまた旅人です。

学校を宿に喩えるのはおかしいですが、学校という宿に少しだけ泊まった群雀たちは、また次の場所に向かって発っていくのです。

そう考えると、なんの不思議もありません。

いつまでも同じところにとどまっていたのでは新しい出会いもないし、発見もないのです。

皆が次の場所に向かって発つというのは、悪い光景ではないはずです。

やはりコマンスメントがピッタリじゃないですか。

卒業が始まりというのは実に愉快です。

新しい人や風景との出会いを求めて進む。

集まり散じていくのです。

その繰り返しが旅人の宿命です。

雀の比喩

たとえ雀に喩えられてもいいです。

そこにかすかな命脈があれば、それを頼りに生きていくことです。

その結果の集大成として人生の軌跡が描かれます

春はいい季節ですね。

花が一斉に咲き誇るのです。

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あと数日、季節の到来を待つことにしましょう。

それじゃあ、またね。