【通常通り】あたりまえの日常が続くことの有難みを強く感じる日々

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通常通り

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

毎朝、出勤前にテレビのニュースを見ます。

そこでは天気予報の後、新幹線や通勤電車が通常通り運行されていますとアナウンスしています。

いつもはだからどうしたの、という気持ちで聞き流しているだけです。

しかし、考えてみれば通常通りにものが動くということは大変なことです。

日本人の生真面目さなんでしょうね。

他の国では考えられません。

殊に台風の時など、多くの人が駅や空港で立ち往生したまま、動きがとれないことがあります。

あらゆる予定が狂ってしまうのです。

考えてみれば、あの10年以上も前の大地震のときもそうでした。

いつものようにターミナルに向かった生徒の大半が学校に戻ってきました。

何もかもが動かなくなっていたのです。

仕方なく、あの日の夜は学校に泊まりました。

福島や宮城など、被災地の人たちはその状況が今だに続いてるのです。

帰れなくなってしまった人のなんと多いことでしょうか。

毎日、当たり前のように暮らしが続いて、そこに笑いや涙がある。

そうした日常がいかに大切なものか。

良寛さんは1日中、子供たちと手まりをして遊んだと言われています。

なににも束縛されない、昨日と変わりない生活。

そのことの大切さが、身にしみていたのでしょう。

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アタリマエは難しい

良寛さんといえば、子供たちと遊んでいる図がすぐに思い浮かびます。

この里に手鞠つきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし

霞立つながき春日に子供らと手鞠つきつつこの日暮らしつ

考えてみれば、人間の暮らしというものは実に単純なことの繰り返しです。

しかしそれを繰り返せるということの中に、本当の幸せがあるのかもしれません。

通常通りにものが動くということのありがたさを、噛みしめる時なのでしょう。

そう考えてみると、日常の重さというのが身にしみてきます。

ウクライナの人々は次々と家が壊され、家族がバラバラになってしまいました。

少し前まではあたりまえのように暮らしていたのです。

しかしその場所も、今は瓦礫の山です。

再び、そこで暮らすことができるんでしょうか。

地震も怖いし、津波も怖い。

それにもまして、戦争は嫌ですね。

日本はこの75年間、戦争もなくすごしてきました。

しかしこれからどうなるのかはわかりません。

隣の国からはロケット弾がしきりに打ち込まれます。

戦争というものはそんなに遠くにあるワケではありません。

日常の隣に当たり前のような顔をして、座っているものなんです。

そう考えると、遠い話ではなくなってしまいます。

先日も80代の後半の人たちに話をきく機会がありました。

ごく普通に戦争の話がでてきます。

爆弾が落ちた時の様子や、竹槍で米兵を殺した話など。

その世代の人たちがまもなくいなくなります。

いずれ戦争を知らない人ばかりになります。

その時、日常はどうなるんでしょうか。

いろいろと気になる、今日この頃です。

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今日はここまで。

じゃあね。