【絶望の国の幸福な若者たち】希望と満足の変質【今が幸せならばそれで】

学び

絶望の国の幸福な若者たち

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は精神科医、斎藤環氏の文章を読みましょう。

社会学の評論には現代の社会における家族や若者などの調査をもとにした、人間の関係性を論じたものが多いです。

この文章のポイントは社会学者、古市憲寿氏の著書『絶望の国の幸福な若者たち』に対する疑問です。

タイトルを見たことがありますか。

本の存在を御存知でしょうか。

古市氏の主張の根幹にあたるのは「若者の生活満足度や幸福度はこの40年間で、ほぼ最高の数値を示している」という記述にあります。

内閣府の「国民生活に関する世論調査」を元にした評論です。

調査結果によれば、現在の生活に満足していると答えた若者が、どの時代よりも多いというのです。

そこから現代の若者はバブル期の若者たちよりも、ずっと幸せだというのが結論です。

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食べるものにも不自由はしません。

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しかし齋藤環氏はこの若者論を評価しつつも、反論を試みています。

確かにそうした面がないというワケではないというのが、最初の切り口です。

ところが、精神医学の側面からみていくと、現代の社会を生きていく若者たちの「希望」や「幸福」がかつてのものと同じではないとしています。

それをきちんと検証することで、分析結果に違いが出てくるというのが、論点の基本になります。

どういうことなのか。

もう少し深掘りしてみましょう。

若者たちは将来に、希望が描けなくなっているのではないかという疑問です。

引きこもりの現状をずっと研究してきた中で、不幸の原因が未来への展望のなさだというのです。

今が幸せなのではなく、希望や満足という概念が大きく変質してしまったのが、その大きな違いと考えるべきではないのか。

ここが最大の論点です。

本文を読んでみましょう。

本文

2000年代後半には、ひきこもり、二-ト、ワーキングプア、フリーターといったいわば弱者の代名詞のようになった若者論がさかんになった。

グローバリゼーションが、格差社会が、新自由主義が、雇用の不安定が、多くの若者をかつてないほど不幸にしている、といわんばかりの論調が目立った。

そうした若者状況には、いまだ大きな変化はない。

古市は他の調査の結果も合わせて、今の若者の「気分」を次のようにまとめる。

若者の生活満足度や 幸福度はこの40年間で ほぼ最高の数値を示している。

格差社会だ、非正規雇用の増加だ、世代間格差だ、と言われているにもかかわらず、当の若者たちは今を幸せと感じている。

一方で、生活に不安を感じている若者の数も同じくらい高い。

そして社会に対する満足度や、将来に対する希望を持つ若者の割合は低い。

この、いささか混乱した印象をもたらす結果について、古市は 社会学者、大澤真幸の論に依拠しつつ、説明を試みる。

大澤によれば、人が不幸や不満足を訴えるのは、「今は不幸だけど、将来はより幸せになれるだろう」と考えることができるときだ。

逆にいえば、もはや自分がこれ以上は幸せになると思えないとき、人は、「今の生活が幸福だ」と答える。

若者はもはや 将来に希望が描けないからこそ、「今の生活が満足だ」と回答するのではないか。

この説明は意表をついているぶん、一定の説得性がある。

geralt / Pixabay

しかし、ここであえて 異論を差しはさんでおこう。

古市が指摘するように、現代の若者が「今ここの幸せ」に充足感を覚えているのは事実であるとすれば、なぜ若い世代の「うつ病」が増加傾向にあるのだろうか。

もちろん満足度や幸福度とうつ病の有病率が直接に相関関係を持つとは限らないから、これはあくまで直感的な疑問である。

筆者はむしろ、ここに示されている「幸福度」や「満足感」、あるいは「希望」といった言葉の意味や 定義そのものの変質が重要であるように思われる。

いずれもきわめて曖昧な言葉であるためだ。

古市は希望がないからこそ幸福になれると指摘するのだが、例えば「希望が持てる状態こそが幸福」という言い方もできる。

筆者の実感としても、希望と幸福を区別することにはかなり抵抗がある。

もう1点、若い世代に限らないが、引きこもり事例を診てきた立場からすれば、彼らの不幸を作り出しているのもまた、未来への展望のなさ、すなわち「絶望」であることは確実である。

希望がない時代の幸福

ここでは変質という言葉が大きなキーワードですね。

何が変質しているのか。

それを考えてみなければなりません。

「希望がないからこそ、幸福になれる」という表現は意外な一面を確かに持っています。

思わず、なるほどと頷いてしまうのです。

この説明は希望が幸せに繋がるという一般的理解を逆転させ、本当にその通りなのかという隠れた本質を探り出そうとしています。

それが次の「うつ病」の増加に対する指摘です。

あくまで直感的な疑問であるとしながら、かなり確信を持って断言しています。

ここに示されている「幸福度」や「満足感」、あるいは「希望」といった言葉の意味や定義とどう変質したというのでしょう。

いずれもきわめて曖昧な言葉であることは事実です。

希望と幸福を区別して一種、詭弁のようにその相互関係を逆立ちしたものにすることも可能であるとするなら、その反対もまた書きようがあります。

それは不幸を作り出したのが未来への展望のなさ、すなわち絶望だということです。

全く正反対のようにみえますが、実は同じことを別の角度から言っているだけです。

回答者にニートや引きこもりの若者の声がどの程度反映されているのか。

それも大きな疑問です。

社会との繋がり

社会との繋がりが断たれた人たちの声をどこまで反映して、このような調査が完成するのか。

非常に大切な問題です。

この文章には大澤真幸氏の論を古市氏が補強した部分があります。

人が不幸を訴えるのは、今は不幸でも将来幸せになれると考えられる時だというのが基本です。

それを現代の若者は将来に希望が描けないからこそ、「今の生活に満足している」と結論付けるのです。

この表現の微妙な温度差をどう理解したらいいのかというのが、この評論の眼目です。

全ての若者の声を拾い上げていたら、また違った結論が出てきたかもしれません。

そこに齋藤環氏が反論をするだけの場所があったということでしょう。

評論はつねに新しい広がりを持とうとします。

そのために自分の論理にあったポイントを大きく引き伸ばすのです。

もちろん、その裏側には、語られなかった真実も残っています。

それをさらに抉り出すことで、次のステージへ論点が伸びていきます。

あなたの実感として、本当に今が幸福なのか。

幸福とは何かということを考えてみてください。

そこに希望や満足といったパラメーターになる概念を入れることで、内容がより深くなっていくと思われます。

幸福論の1つとして、小論文のテーマにすることも十分可能です。

書けるようでしたら、「現代の若者は幸福か」というテーマで800字程度にまとめてみてください。

その際に必要な語彙として、「希望」「満足」などという表現を必ず入れてみることです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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