【小論文・アイデンティティと暴力】残虐性と背中合わせ【多文化容認】

小論文

アイデンティティと暴力

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はアイデンティティと暴力について考えます。

難しいテーマです。

しかしこれほど今日的な問題はないかもしれません。

民族問題に端を発した内戦があちこちで起きています。

宗教などがからむと、解決への糸口がなかなかみつかりません。

ここで少し内容を整理しながら、一緒にこのテーマを論じてみましょう。

解決へのキーワードは「多文化主義」です。

忘れないでください。

課題文に先立って、次のような文章があります。

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以下の課題文はノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センがアイデンティティについて論じたものです。

この文章に続けて、センは「アイデンティティに基づく考えがこれほど残虐な目的に悪用されるのであれば、解決策をどこに見出せば良いのだろうか」と問いかけています。

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この問いに対してあなたはどのように答えますか。

1000字以内で述べなさい、というものです。

筆者のアマルティア・センについては少し調べてみてください。

インドの経済学者、哲学者です。

アジア初のノーベル経済学賞受賞者としても知られています。

次に課題文を書き抜きます。

文章が長いので、一部分だけです。

課題文

アフリカ系アメリカ人の作家ラングストン・ヒューズは、1940年に書かれた自伝『大海』の中で、ニューヨークを発ってアフリカへ向かった時に味わった心の昂揚を描いている。

それまでアメリカで読んできた本を海中に投じると、「まるで心の中から100万個のレンガを投げ捨てたようだった」。

なにしろ、「黒人の母なる大地、アフリカ」へ向かう途上なのだ。

もうまもなく、「ただ書物の中で読むだけでなく、手で触れ、目で見ることのできる本物」を体験できるだろう、と彼は書いた。

アイデンティティの共有意識は、たんに誇りや喜びの源となるだけでなく、力や自信の源にもなる。(中略)

だが、アイデンティティは人を殺すこともできる。

しかも容易にである。

一つの集団への強い、そして排他的な帰属意識は往々にして、その他の集団は隔たりのある異なった存在だという感覚をともなう。

仲間内の団結心は集団相互の不和をあおりやすい。(中略)

アイデンティティ意識は、ほかの人々、つまり隣人や同じ地区の住民、同胞、同じ宗教の信者などとの関係を強め、温めるうえで重要な役割を果たす。(中略)

しかしアイデンティティ意識は、人々を温かく迎える一方で、別の多くの人々を拒絶しうるものであることも、あわせて認識しなければならない.

住民が本能的に一致団結して、お互いのために素晴らしい活動ができるよく融和したコミュニティが、よそから移り住んできた移民の家の窓には嫌がらせのために煉瓦を投げ込むコミュニティにも同時になりうるのだ。

排他性がもたらす災難は、包括性がもたらす恵みと常に裏腹なのである。

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ここにあげられたテーマをどの程度、自分のものにできますか。

歴史を知っていなくては理解できないかもしれません。

時事問題などをきちんと理解していれば、解釈は容易でしょう。

具体的には、たとえばイスラエルとパレスチナの問題があります。

完全にアイデンティティによって分断されたと言っても過言ではないでしょう。

イスラム過激派の行動などもその1つに挙げられます。

彼らのいう聖戦は、他方にとって無法な破壊でしかありません。

ここにこのテーマのもつ根源的な難しさがあるのです。

連帯感と誇り

課題文を読んでいると、なぜ自己認識の差がこれほどに残虐な結果になってしまうのか。

途方にくれてしまいます。

仲間になるということは、それ以外の集団との差別化そのものです。

民族の差、宗教の差は誰の目にも理解しやすいものです。

それだけにいったん火がつくと、消すことが難しいのです。

自分の同胞のためとあらば、他の宗教の人を殺戮することも可能です。

ヒンドゥーとイスラムの対立なども過去には何度も起こりました。

汝の隣人を愛せという言葉は大変に美しいものです。

しかしそれが可能になるためには、多文化主義を容認しなければなりません。

アイデンティティには誇りや喜びをもたらす側面があると同時に、憎悪や暴力の装置になりやすい側面を持っているのです。

ではどのような時に憎悪にかわるのか。

それは「単一の価値観」に支配された時です。

geralt / Pixabay

1つのカテゴリーに集約されると、人間は一種のマスヒステリー現象を起こしやすいのです。

かつてのナチスによるユダヤ人虐殺などが1番いい例でしょう。

理屈ではありません。

感情が先に立つのです。

だからこそ、実に厄介で難しい側面を持ちます。

集団心理は単一の考えに収斂しやすいのです。

冷静な認識を拒みます。

「内なる絶対」とでも呼べるものが、人々のこころに植え付けられます。

どう書くか

問題の要求は「解決策」についての言及です。

これなしでは評価が一気に下がります。

あなたなら、どのように書きますか。

どこにポイントを絞りますか。

そこで大切になるのが「多文化主義」の考え方です。

つまり1つの価値観に支配されないということです。

解決策として考えられるのは、はアイデンティティの負の側面を抑止して正の側面生かしていく道を開いていくべきだということになります。

文化的、集団的なアイデンティティが問題になるのです。

つまり自らが帰属するアイデンティティを絶対化してはなりません。

互いのアイデンティティを総体化すること、すなわち文化総体主義の必要性を語ることが原則になります。

一例をあげます。

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アイデンティティの持つ両義性が、どこまでも問題になる。

そもそも、アイデンティティを共有する集団は、個人にとって1つなのだろうか。

同じ国籍を有しているからといって、宗教も違い、髪の色や目の色、肌の色も異なる。

経済力の格差も当然でてくるだろう。

1人の人間が持つアイデンティティは多様なのである。

複数のアイデンティティを共有する集団に帰属していてあたりまえなのだ。

1人の人間が、帰属する分野の複数性を持っていることを重視すれば、別の側面で連帯し、理解しあうことも可能になる。

それだけの柔らかさが必要である。

その時、人は完全に排他的になることはできなくなるのではないだろうか。

大切なのは、1つのアイデンティティに基づく集団への帰属のみを絶対視しないことだ。

この考えを追究していけば、筆者の問いへの解決策になりうると私は信ずる。

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1つの参考例を考えてみました。

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あなたの意見はどうでしょうか。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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