【自己肯定感】自分をダメな人間だと思い込んでしまうワケ【不登校】

学び

自己肯定感

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は日本人の自己肯定感について考えます。

教育現場にいると、「もう少し自信を持ちなさい」という教師の言葉をよく耳にします。

不登校の生徒の多くが自尊心を喪失している様子がみてとれるからです。

自分というものの存在が、弱いものにみえるのでしょうね。

特に他者との関係がうまくとれないで悩む生徒が多いように感じます。

新しい環境で、自分の立ち位置が定まらないうちに、コロナが蔓延し、休校になったりもしました。

マスクをしていると、相手の意思がよく読み取れないことが多いのです。

コミュニケーション不全に陥るということもあったのでしょう。

不登校児の多くが、複雑な背景を抱えていることはよく知られています。

彼らに共通している要素を分析していくと、必ず「自己肯定感」という表現につきあたるのです。

多くの生徒は自分自身を喪失した状態にいます。

何が不登校の原因なのか、簡単に識別することはできません。

しかし根底に流れているものは「自分」の存在をありのままに認めるということが困難になっているという厳然たる事実です。

その原因がどこにあるのか。

不登校は日本だけに起きている特殊な現象なのか。

文化的な背景がそこに存在しているのかどうか。

それを分析してみることが、大切なことは言うまでもありません。

過去、このテーマが小論文の設問になったことが何度かありました。

日本文化の特殊性と紐づけられ、問われたケースが多かったです。

小中高生の意識

日本人の小中高生の意識調査などをみかけたことがありますか。

よくグラフなどで示されたものが、雑誌に載っていたりします。

文科省をはじめとして、さまざまな教育機構が調査を実施しています。

数年前、高校生に対して発した「自分はダメな人間だと思うことがあるか」というストレートな問いへの回答は以下の通りでした。

n-k / Pixabay

日本の高校生の肯定率が7割以上だったのです。

70%を超える人たちが、自分はダメだと呟いているのです。

次いで高いのは中国の56.4%。

これに米国45.1%、韓国35.2%と続いています。

小学生に向けての調査でも同様な結果がでています。

5都市(上海・ソウル・ロンドン・ニューヨーク・東京)の小学生の国際比較調査です。

「親切」「よく働く」「スポーツが得意」「勉強ができる」などの自己像に対する肯定率も,東京の小学生たちの数字がもっとも低いものでした。

全体的にみても、日本の子どもたちの自己肯定感は低いと言えるでしょう。

これは家庭においても同じ傾向がみられます。

日本人の保護者は子どもの成長に対する評価が一般に低いのです。

「子どもの成長に満足している」という割合が、アメリカ、イギリス、スウェーデンでは8割を超えるのに対して、日本では4割に満たないという結果もあります。

なぜこのように数字の差が出てくるのか。

少し不思議な気がしないでもありません。

同じような環境で暮らしていて、ここまで差がつくのには何か理由があるのではないかと感じます。

小論文の場合は、そこに論点を絞った課題文がよく登場します。

それが「文化の差」というファクターです。

同じ問いかけに対して、ここまで数値が変化する事実の裏にマジックが潜んでいるのではないか。

そう考えても不思議ではありません。

日常の闇

日常的な心情についての調査もみてみましょう。

日本の高校生の結果をみると「落ち込む」という者、54.8%。

「ものごとに集中できない」という者、45.6%。

「なんとなくいらいらする」という者は45.4%という結果が出ています。

ほぼ半数の高校生が日々、ネガティブな感情と戦っているのが見て取れるのです。

自己肯定感が低いと、どうしても気持ちが不安定になりがちですね。

友人関係を作り上げるのも大変です。

少しでも気になることを言われたり、嫌な態度を取られたりすると、それだけで感情が波立ちます。

今はラインやSNSなどで細かな部分にわたって、日々誰かの目にさらされることが多いです。

グルーブでチャットなどをする場に入ってしまうと、そこから抜けられなくなります。

さらにいつの間にか、以前のグループからはずされ、新しい輪ができてしまうという「事件」すら起こるのです。

教師にその全てが見えるワケではありません。

もちろん、親にも見えない状態になってしまうのです。

そこには不安に落ち込んだり、誰にも相談できなくなる要素がたくさんあります。

かつては荒れる中学生などとよく言われました。

思春期にあたる中学校が圧倒的に「事件」が多かったのです。

しかし現在はそれが低年齢化する傾向が強くなっています。

そこへコロナなどが加わり、後戻りができなくなりつつあります。

さらに大きな問題は日本の文化の土壌にもあるのかもしれません。

もう少し考えてみましょう。

日本文化の背景

「自分には長所があるか」という質問に対して、日本人はどう答えるのが普通でしょうか。

あなたの場合で少し考えてみてください。

やはり諸外国と比べてYesと答える人の割合が低い傾向になるのではないでしょうか。

ズバリ、日本人特有の真面目さと謙虚さの裏返しでもあるとも言えます。

ここに日本人の考え方の基本があるのです。

「真面目」「謙虚」というのは日本人にとっての大きな柱です。

子供の頃から、自分というものを必要以上に前面に出さずに生きていくというのが、日本での道徳の基本でした。

もちろん、自分を肯定したい気持ちがないわけではないのです。

しかしそれをあからさまに示すというのは、なんとなく僭越な印象をもってしまうのでしょう。

言葉の構造をみてもそれはよくわかりますね。

日本語は最後まで聞かないと、肯定なのか否定なのかが判然としません。

しかし西洋の言語は最初にYesNoをいい、その後に理由付けをするという組立てになっています。

幼い頃から自分の意見をきちんと述べ、議論をする習慣を身につけているのです。

それに比べると、日本人は他者の話を聞き、どのようにして同調するのかということを大前提にして話し合いを持ちます。

けっして突出することがありません。

欧米諸国の人々が自己肯定感の高さを臆面もなく、主張する根拠の1つに十分なりうる要素がまさにこれなのでしょう。

こどもに対する発達の期待値を調べる研究などでも、日本では最初に「共感、同情、思いやり」という項目がきます。

しかし欧米では「自信」がトップにあげられるのです。

そのために自己主張をすることが常に要求されます。

感情的に安定した温和で素直な子が望ましいとされる日本人の場合とは全く違います。

つねに協調性が最優先されるのです。

このあたりにも、調査にダイレクトに答えようとしない日本人の姿がみてとれないでしょうか。

もちろん、それだけが原因だというワケではありません。

しかし文化的な背景を無視して、このような調査結果に一喜一憂するのは賢明ではありません。

文化の差についてもきちんと考えておく必要があるという事実は、想像以上に重いのです。

小論文では、この論点を前面に出すのも1つの方法です。

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考えてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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