伝統と文化
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は都立日野台高校に出題された小論文について考えます。
課題文は以下の通りです。
最初に読んでみてください。
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日本では昔から、生活に関わる道具は熟練した技術を持つ職人の手で作られていた。
そのため、傘や包丁、かばんなどは、壊れたら職人のところへ持っていき、修理や手入れをしながら、長く使い続けていた。
しかし、近年、このような伝統や文化は衰退しつつある。
このことについて、以下の2点を踏まえて書きなさい。
このような伝統や文化が衰退しつつある理由とその理由に対するあなたの考え・生活に関わる道具についてのあなた自身の具体的な体験又は見聞を書きなさい。
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制限字数は800字以内です。
この設問をみてあなたは何を最初に考えましたか。
私たちの周りから、修理をして長く使うという思想がなくなったワケではありません。
その証拠に近年も5Rという表現がよく使われています。
内容は以下の通りです。
Refuse(リフューズ)ごみになるものをもらわないこと
Reduce(リデュース) ごみ自体を減らすこと
Reuse(リユース) 何回も使うこと
Repair(リペア) 修理して長く使うこと
Recycle(リサイクル) 形を変えてもう一度使うこと
SDGsの思想
これらの言葉を何度かは聞いたことがあると思います。
フリースなどの衣料品をユニクロやH&Mは集めて再生販売していますね。
それを企業の先進的な形態として、SDGsの思想とからめているのです。
古着だけでなく、一度使用した家電、家具などを安価で提供する店舗も多くあります。
これらは1つのものを長く使うという思想とうまくかみあっているのはないでしょうか。
さらにいえば、フリマアプリの勢いもかなりのものです。
不用になったものを積極的に使ってもらう。
そのために媒介となる業者のアプリを使ってものを売買するのです。
けっして、1つのものを長く使うという思想がなくなってしまったとも言い切れないような気がします。
家具などは、カバーを新しいものに張り替えるといったサービスをする業者もあります。
しかし修理代がとても高いという事実は否定できません。
ここでものづくりの現場について、もう1度考えてみましょう。
現在はどうなっているのでしょうか。
本来、ものを今以上にたくさん売るためにはどうすればいいのか。
最も簡単なのは、今あるものが古いものですでに時代遅れだと感じさせることです。
わかりやすいのは現在手にしているものが、技術的に不安な商品だとアピールすることです。
ICの世界は日進月歩です。
型落ちのPCをなおして使うということは事実上困難です。
ソフトも部品もありません。
チップの性能が劣ってしまったものを、現在の計算速度のレベルにまであげて使用することは考えられません。
自動車などの工業製品も以前のものは、排気ガス規制などの数値が劣るという理由で型落ちになります。
さらに電機、家電なども同じです。
安全性や、消費電力などの性能が、最新のものとはまったく違います。
スタイル、デザインなどの要素も大きくからんでくるでしょう。
そうした類の工業製品と、ここでの設問にあらわれた修理というレベルで使えるものとを同一に考えるのには無理があります。
そのことはあらかじめ断言しておいた方がいいと考えられます。
切り分けて論じるべきです。
衣料品の場合
特定の衣類についてはむしろ、ビンテージものといって、売り出した時よりも価値の出ているものもあります。
これも全く別のジャンルに分けて考えた方がいいでしょう。
ここでは日常的に着る衣料をテーマにすればいいのです。
近年、ファスト衣料は使用のサイクルが短いです。
1シーズン着られれば、それで十分という考え方が広まっているのではないでしょうか。
手軽に安価のものを買って、すぐに手放す。
古着は再生用とそれ以外のものに分けられ、非常な安値で別の国へ売られる。
そこで再度、商品になるものは復活し、それ以外のものは、ごみとして捨てられます。
あるいは発展途上国への寄付としても使われています。
服としてリユースすることが難しい場合には、工業用ウエスになることも多いです。
SDGsの時代、燃えるゴミにするのは最後の手段でしょう。
あらかじめ、ここをきちんと書き分けて論じることで、結論が導きやすくなるはずです。
修理という思想
どれほど大切に使っていても、ものは壊れたり、割れたりしてしまうことがあります。
そのような時に修理をして再度使うという思想が確かにこの国にはありました。
もちろん、今でもあります。
しかしその作業に携わる人が明らかに減っています。
なぜか。
わかりやすくいえば、それだけで生計を賄うほどの収入を得られないからです。
試みに焼き物を考えてみればわかりやすいです。
例えば焼き物では、割れてしまっても「金継ぎ」という技法で修復することで新たな価値が生まれます。
金継ぎとは、割れた部分を漆でつけて、金の装飾を施す技術です。
その美しさから、最近では自分で金継ぎに挑戦する金継ぎ教室などもあるようです。
しかし多くの人がこの技術を利用しているのでしょうか。
それが大きな問題です。
たとえば、壊れた陶器が目の前にあるとして、修理してくれる工房をネットなどで探したとします。
修理代には部品の代金以外に輸送費用なども含まれます。
ある程度の技術を身につけるためには、かなりの時間がかかるはずです。
修理人はこの技術で生活の基盤を支えなくてはなりません。
当然、材料費も光熱費、通信料などもかかります。
そのため修理内容によっては、かなり高額の料金を請求されることがあるのです。
それを支払っても思いのこもった陶器を使いたいという人は、それでいいでしょう。
しかし多くの人がそこまで、こだわるのかどうか。
つい新しいものを買い求めてしまうことを、否定することはできません。
骨董的価値のあるものをより高度な識見で保存するということなら、理解できます。
それが同じように、傘やバッグにまで至るのは、容易に判断できるのではないでしょうか。
職人の不在
伝統工芸というレベルまでいかなくても、ごく普通にこうした技術を持っている人の数が激減しています。
工業製品として、大量生産の思想が広まってしまったからです。
全てを手で完成させる商品がなくなったわけではありません。
しかし激減しているのです。
安価で品質の安定した商品が流通する社会です。
壊れたら、高い費用を使ってなおすよりも、買い替えた方がずっと楽です。
短時間で、以前と同じものか、それ以上の品質のものを手に入れられます。
竹細工の籠がすぐれていることを知っていたとしても、それを修理までして使う人がどれくらいいるでしょうか。
伝統工芸もものづくりも次第に衰退しているのです。
時代のニーズを捉えて変化できなかった商品からすたれてしまったのです。
季節の行事などの一環として、従来売れていた五月人形も雛人形も、売れ行きは落ちています。
設置する場所が現代の住宅にはないという現実もあるのでしょう。
仏壇なども現代仏壇と称して、新しい模索を続けています。
さらに後継者不足が大きな問題です。
高齢者以外に仕事を引き継ぐ職人がいないという現実もあります。
受注管理システムやメールでの発注など、技術的に不備だという問題もあります。
設問は自分の体験を、見聞を要求しています。
ここに示した内容に近いものでなくてもかまいません。
ピンポイントでうまく表現できれば、印象の強い小論文になると思われます。
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ぜひ、試みてください。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。