「新学習指導要領・完全な誤算」高校の国語から文学が消滅する日

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文学の消滅

みなさん、こんにちは。
今日のニュースをお読みになりましたか。
案の定というより、当然の結果として、高等学校国語科の学習指導要領を大幅に改訂すると文部科学省が発表しました。
記事のタイトルは「高校国語、再び小説重視」でした。
サブタイトルに「AI時代に感性を。次期要領で文科省案」とあります。
文部科学省は11日、次期学習指導要領を議論する中央教育審議会の作業部会で、高校の国語の科目構成を変更する案を示しました。
論説文や報告文を扱う「論理国語」と、小説などを扱う「文学国語」を別々の科目とする現在の構成を見直します。
小説に触れる機会を増やすというものです。
AIやSNSの普及を踏まえ、人間としての感性を育むのが狙いだというのです。
2022年から改訂された国語の科目構成をご存知でしょうか。
あの時、何度かぼく自身も記事を書きました。
不安だったからです。

文科省は従来の国語の内容を「文学」と「論理」に分けました。
どちらも選択科目です。
当時の大学入試の流れとして、論理を重視する国際社会に対応できる生徒をつくりたいという文科省の意志が、何度も声高に語られました。
感性は後からついてくるというのです。
国語科の教師が不安を訴えても、官僚はつっぱねたのです。
結果は予想通り、多くの高校で、「論理国語」が中心になりました。
授業時間の関係で、「文学国語」を学ぶ学校が極端に減ったのです。
文学教材は大学入試につながらず、特に理系で選択されにくいことが要因とみられます。さらにここ数年のSNS、AIの発展は予想以上でした。
人間同士のコミュニケーションの重要性が高まる中で、感性をはぐくむ授業が必要だという判断に傾いたのです。

新しい科目構成

今度の科目構成案では、選択科目を「標準科目」と「発展科目」の2段階に分けるそうです。
標準科目になるのは「現代の国語Ⅱ」「言語文化Ⅱ」。
「現代の国語Ⅱ」に論理国語と国語表現の要素を盛り込みます。
教材として小説も排除せず、論理的な思考・表現につながるかによって判断するとしています。
今まで弱かった文学国語と古典探究の要素を「言語文化Ⅱ」は組みこむとか。
理系選択の生徒も小説に接する機会が増えることになります。
さらに発展科目として「論説と批評」「対話と表現」「文学と叙述」「古典と文化」の4つを設定します。
従来のパターンをつぶし改編して、新しい科目を作ってみたものの、AIの流れと本を読まない生徒たちとの間で、右往左往しているのがよくわかりますね。
教室の現場にいると、生徒の言葉の質が明らかに弱く細くなっているのを感じます。
ツィートと呼ばれる「呟き」が主体の会話では、論理性以前に感性も全く育ちません。
案の定、というのが正直な気持ちです。
改訂の実施は32年度以降のようです。

それまでに暫定的でもいいので、現状では不安な要素を取り除く努力を続けてもらいたいものです。
現場の不安がまさに的中したケースではないでしょうか。
小論文を書かせると、近年AIアプリを利用する生徒が出てきました。
彼らの持っていない語彙を平気で使うので、実にバランスの悪い文章が多いのです。
少し質問をすると、必ず破綻します。
自分のことばではなく、経験もありません。
それだけに添削のしようがないというのが、実態なのです。
数年前にこの危惧に関わる文章を書きました。
参考までに、ポイントだけを抜き書きしておきます。

新学習指導要領への不安

今日はここのところ気になっていて仕方のないことを書かせてもらいます。
それは2022年から開始される、国語科の新しい科目のことです。
数年前、2年生の6クラスを相手に森鴎外の『舞姫』を教えました。
来る日も来る日も『舞姫』でした。
生徒はかなりまいってましたね。
彼らの意識では日本語じゃないのです。
通常ならCDをかけて、あとは教師がぼんやりしてるというパターンもあります。
しかしぼくはなにがなんでも生徒に読ませようと思いました。
『舞姫』はある意味で完全な古文です。
明治の時代にこうした文章を書ける人がいたということだけでも、読み取ってもらいたいと願ったからです。
読むだけで、2時間を使いました。
誰もがつっかえて読めないというわけではありません。
きちんと読める生徒もいます。
明治の時代の官僚がどのようなものであったのか。

友情とはなにか。
それを少しずつ解読していきました。
わかった生徒がどれくらいいたのか。
生徒の一人は、日本語の試験の方が英語より点がとれないといって笑っていました。
おそらく彼らは2度とこの作品を読むことはないと思います。
だからこそ、やりたかったのです。

二度と読まない

夏目漱石『こころ』、中島敦『山月記』、芥川龍之介『羅生門』など、今までさんざんに言われてきました。
こんな作品を教科書に載せる必要があるのか。
毎年同じ教材で、先生は楽をしている。
しかし現場にいた教師の実感として、このチャンスを逃したら彼らはもう読まないのです。
あるいはいつか手にした時、昔、高校でわけのわからない授業でやったというかすかな記憶がよみがえるだけかもしれません。
それでもいいと思ってやりました。
つい先日も『山月記』をていねいに説明した時、生徒は登場人物の性格と自分の性格がいかに似ているかを自己分析して聞かせてくれました。
アイデンティティの確立が十分にできていない時代に、こうした作品を通じて、自分と周囲との距離を測る作品はけっして無駄ではないのです。
長編にまじって村上春樹、小川洋子、川上弘美、三島由紀夫、太宰治、梶井基次郎などの短編も所収されています。
難しい定番教材の間に、このような作品をおりまぜて学習すると、大変新鮮にみえます。教えている方の気分もどこか救われるのです。
さらに俳句、短歌、詩などの作品群があります。

古典で習うものとは違う、同時代感覚も養えるというわけです。
文学は誰もが口にしない、人のこころの中に踏み込んで、これでも人は生きる価値があると呟きます。
たとえ授業中でさえ、自分というものに肉薄する契機になりうるのです。
それがまもなく改訂され、大きく方向を変えようとしています。
問題点として、選択科目が「論理国語」と「文学国語」に再編されたことです。
「論理国語」を選択すると、従来に比べて、評論や、報道や広報の文章や報告書、企画書、法令文など実用的な文章を教材として扱う機会が増えると思われます。
小説などの文学作品を読む機会が一気に減少することになるでしょう。
結局、高校の国語科での文学や小説は、新学習指導要領によると大幅に減らされたあげく、高校1年生までしか学ばない生徒たちが普通になりそうです。
今まで以上に文学離れが進むのは間違いありません。
その代わりに入ってくるのが、「論理国語」です。
契約書や法律の条文、統計資料、電子メールなど、非常に実用的・実務的な内容の教材になりそうです。
このことは実際過去に2回行われた「大学入試共通テスト」の試行版をみればよくわかります。
1回目はある高校の部活動に関する生徒会規約の文章、2回目は著作権法の条文が主な題材でした。

各高校は、大学入試を意識して授業を行います。
生徒のニーズを全く無視するわけにはいきません。
カリキュラムの編成にも気を遣うことになります。
選択科目については、大学進学者の多い高校では、「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」(各4単位)のうちから2科目を履修するのが一般的になるでしょう。
今回の国語科の教育内容の「改革」は、実利的、実用的なものを重視する流れにのっていると考えるのが自然です。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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