【ようこそ、ヒュナム洞書店へ】ベストセラーを置かない独立店を愛した人々は

ヒュナム洞書店

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は昨日読んだ本の話をします。

本などというものはたくさん読めばいいというものではありません。

心に残る数冊があれば、それで十分なのです

しかし多くの本に触れていると、おのずからその本と自分の関係が見えてきます。

遠近感といったらいいのでしょうか。

今の自分にとっての必要度といってもいいかもしれません。

夏になって数冊の本を読了しました。

これがいいと勧められて読んだものもあります。

最後のページまでいって、がっかりしたものもあります。

今の自分にとって不要だったのかもしれません。

登場人物に感情移入ができなかったといえば、わかりやすいのではないでしょうか。

描写の上手下手も当然あります。

しかしもっと焦点を手元にひくと、やはり人間の描き方に納得ができなかったということに尽きるような気がします。

今回、ご紹介する『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』は偶然、手にしたものです。

2024年度本屋大賞翻訳部門で1位を獲得しました。

韓国人作家による小説は、今までにも何冊か読んできました。

息苦しい現代の中をそれでも生き抜かなければならないテーマのものが多かったです。

儒教道徳にかわる新しい時代の空気を、若者たちはどう吸っているのか。

それがわかればわかるほど、読んでいてつらかったです。

そういう意味で、この小説も似たジャンルのものかもしれないと、当初は考えました。

著者のファン・ボルムは「かもめ食堂」のような作品を書きたかったと、あとがきに記しています。

言われてみると、たしかにその余韻が漂っていますね。

厚塗りの油絵ではありません。

むしろ水彩に近い感触です。

独立書店の生き方

主人公のヨンジュはたったひとりでソウル市内の住宅街に、本屋を開きます。

「ヒュナム洞書店」がそれです。

大企業の社員だったのでしょう。

そのことが後から明らかにされます。

あまりに働きすぎて、自分を見失い、夫にも会社をやめてくれと懇願したのです。

しかしそれもむなしく、離婚をし退職もします。

その後、ヨンジュは、誰も知らない街の隅に、残されたお金をはたいて独立書店を開きました。

書店にやってくるのは、就活に失敗したミンジュンです。

激烈な受験を潜り抜け、大学を卒業します。

しかし望むような就職ができません。

完全に自分の道を見失った状態で、たまたまこの本屋に入ってきます。

自由に本が読めるということもあり、そこで出されるコーヒーを淹れるバイトとして雇われます。

その関係で、夫の愚痴をこぼすコーヒー業者のジミと知り合うのです。

他には無気力な高校生のミンチョルと彼の母親、ミンチョルオンマ。

その本屋で行った文章の書き方講座の講師、元ブロガーで今は作家のスンウ。

誰もが自分の人生に自信を持っていません。

どのように生きたらいいのか。

主人公のヨンジュは誰にも自分の出自を明かさないまま、ベストセラーはおかない、自分の認めない本は売らないという基本のコンセプトをまもり続けます。

韓国社会の厳しさ

この小説を読んでいて感じるのは、現代の韓国社会の横顔です。

以前からよく言われていることですが、異常なくらいの学歴社会で、受験がその後の人生を大きく左右します。

難関大に入学するだけでは足りず、スペックをさらにあげていく必要があります。

語学、IT技術、留学など、かなえられるものはすべて身につけなければ、激烈な社会を生き抜くことはできないのです。

大企業に入ることで、それ以降の生活が約束されるという現状は、そう簡単には変わらないのでしょうね。

噂によれば今、ソウル市内にマンションを買うことは、ほとんど不可能なのだとか。

それくらい高騰してしまったのです。

当然ながら、その競争から滑り落ちた人たちは、どうやって生きていけばいいのか。

彼らの日々のドラマがそこで繰り広げられていくというのが、一番、この本の解説としてはピッタリなのではないでしょうか。

そういう意味では、読んでいて非常に息苦しいです。

毎日、店に来て、アクリルたわしを編む登場人物の造形は出色です。

それぞれがこれから先の不確かな人生をどうしたらいいのか、悩んでいるのです。

彼らはそこでどうするのか。

それがこの本の意味です。

解決策はありません。

ただ画用紙に淡彩の絵が描かれ続けていくのです。

それだけは間違いがありません。

誰もが失敗を続けるわけにはいかないのです。

しかしそこから立ち上がらなくてはならないのも事実です。

そのためには、どうしたらいいのか。

その答えは誰も持っていないのです。

出会いの大切さ

小説の中で、それぞれの人たちが、複雑にからみあう出会いを通して、少しずつ再生していきます。

その姿がいとおしいですね。

なんでもいいから仕事をしようと思っていたミンジュンを例にとりましょう。

偶然、バリスタの募集を見て、そこからコーヒーをおいしく淹れるための方法を学び続けます。

コーヒーの卸専門店に勤める、多くの専門家たちの確かな実力を知るのです。

彼はとにかく美味しいコーヒーを作り出すために、あらゆる苦心を重ねます。

ヒュナム洞書店を訪れる人は、ミンジュンの淹れてくれるコーヒーを楽しみにするようになるのです。

最近の韓国から伝わってくる情報は、かなり苦しいものが多いです。

結婚をしない。

子供を産まない。

いずれも生きる人間から生命の自然を奪っていくことばかりです。

そうしなければも生き残れない社会になりつつあるのかもしれません。

子供を産んだとして、その子が本当に幸せになれるのかどうか自信がないと多くの若者がいいます。

なにが理想的な人生なのか。

それさえもまともに考えにくい社会になりつつあるのかもしれないのです。

それでも、人間は生きていかなくてはなりません。

どのような状態であったら、これでいいと言い切れるのか。

それもはっきりとはしていません。

翻って、これはお隣の国だけの話ではないのです。

本当に複雑で終わりのない、現在の世界に共通した話です。

それが淡彩で描かれているだけに怖いとも言えますね。

確かに仕事は大切です。

それは生きることと直結しているからです。

しかしそこから転げ落ちたものが、いかに多いことか。

その人々への想像力を最大限に発揮することが、この小説を読むことなのかもしれません。

読後には不思議なさわやかさが残ります。

それがどこから来るものなのか。

今はもう少し、考え続けたいです。

翻訳が非常にみごとです。

柔らかい文体に最後まで癒されました。

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ぜひ、一読をお勧めします。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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