【JICA研修報告】ヴィクトリア滝の壮大さとザンビアの現実を見た

学び

遠い国、ザンビア

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は以前、JICAの研修ツアーで行ったザンビアの話をさせてください。

JICAは政府開発援助のための機関です。

名前を国際協力機構といいます。

ザンビアはサハラ以南と呼ばれている位置にある国です。

とにかく遠かったです。

19時間の飛行の果てには想像もつかない世界が広がっていました。

ザンビアは8つの国に囲まれた内陸国です。

人口は約1700万人。

周囲の国は内戦状態にあるところが多いです。

しかしアフリカではもっとも平和な国の一つとして評価されているのです。

GDPは981ドル(2020年度)。

世界192か国の中で168位です。

国債の償還に要するため、つねにインフレ状態の中にあります。

通貨クワチャの価値は下がり、外貨不足がずっと続いています。

首都はルサカ。

到着数日後、500キロ離れたリビングストンに向けて出発しました。

東京、大阪間の距離です。

それをマイクロバスに乗って突っ走るのです。

最初は大きな観光バスでもチャーターしてくれるのだろうと思っていました。

とんでもありません。

クッションの悪い、しかし十分に走るマイクロバスでした。

舗装は日本の簡易舗装に近いですね。

幹線道路に穴があいていないことだけは良しとしなければなりません。

首都ルサカの町にはあちこちに穴のあいた道路がありました

修理する予算がないのだとか。

メインストリートはさすがにきれいでしたが、これは日本の援助で舗装したとのこと。

世界三大瀑布

途中の道にはたくさん炭の入った袋がおいてありました

誰かが積んで運ぶのでしょうか。

歩いている人も多いです。

ヒッチハイクが目的なのか、手をあげている人の姿もかなり見かけました。

焼き畑農業のために真っ黒になった野原が広がっています。

マッシュルームハウスといわれる農家の家々もあちこちにあります。

どれも珍しい風景です。

家の中も訪ねる機会もありました。

黒い煙を上げている畑が道の脇まで続いているのは壮観です。

地球の資源をどうするのか、環境破壊だといっても、実際なにもないのです。

肥料を買う余裕もありません。

手っ取り早く草を燃やすしかないといいうワケです。

真っ黒な草原を見ていると、悲しくなりましたね。

しかしこれが途上国の現実です。

煙がどこまでもたなびいている風景が続きます。

途中何度か休憩して、ガソリンの補給をします。

リビングストンの名前を御存知でしょうか。

有名な滝のある町の名前です。

大きな瀑布の真ん前に車をとめます。

ザンビアと南隣のジンバブエとの国境を流れるザンベジ川から水の落ちる場所がヴィクトリアの滝です。

探検家デビッド・リビングストンが、母国イギリスの女王にちなんで「ヴィクトリア」と命名しました。

幅が約1,700m、落差約108mの威容を誇ります。

アフリカを代表する動物、ゾウ、カバ、キリン、シマウマも多く住み、大自然が大変よく残されています。

動物サファリ園も訪れました。

世界三大瀑布に数えられる滝は確かにすごかったですね。

南アメリカ大陸のアルゼンチンとブラジルにまたがるイグアスの滝。

北アメリカ大陸のアメリカ合衆国とカナダにまたがるナイアガラの滝と並んで有名です。

水しぶきにあたりながら、急いで虫よけスプレーをしました。

蚊に食われたら、マラリアに罹る怖れがあります。

毎日感染予防の錠剤をのみ続けました。

特に水たまりの多いこの地帯は危険なのだそうです。

リビングストン博物館

午前中、リビングストン博物館を訪れました。

システムエンジニアのS隊員はコンピュータが自由に使えないことを嘆いていました。

事前の話ではすぐに使えるコンピュータもあり、館内の収蔵品のデータベース化もはかどるものと予想していたらしいのです。

しかし現実に与えられたものはなにもないがらんとした部屋一つと、つっかえ棒でなんとか窓にしがみついているおんぼろクーラーだけ。

彼はなにもまだ仕事らしいことをしていないので、説明することがなくてつらいと話してくれました。

青年海外協力隊の隊員です。

ザンビア事務所経由、日本のJICA本部の許可がでて、実際にコンピュータが搬入されるまでには、3ヶ月はかかるとのこと。

とはいっても近くにコンピュータを売っているところは1つもありません。

ロンドンから運び込むために時間もかかります。

停電防止用の装置や電圧を一定に調整するための装置も必要となります。

しかしSさんがいなくなった後、データベース化された資料はどのように利用されるのか。

ドナー国からもらったコンピュータだけが残るという図式でしょうか。

しかし陳列物はザンビアを代表する博物館だけのことはありました。

収蔵品はなかなかのものです。

首都ルサカ市内にあった博物館とは雲泥の差です。

給料の遅配とかで、現地の人達には数ヶ月も支給が滞っているとのこと。

同時期に保健省自動車整備で入ったI隊員も穏やかな人柄の好人物でした。

仕事場は博物館からすぐです。

ほとんど村の自動車修理工場のような印象でした。

周囲を高い塀で囲っておかないと、部品を盗まれてしまうのだと言います。

10台位の車が雑然と並べてありました。

新しいのはほとんどありません。

どの車も30万キロぐらいは走らせるとのこと。

1番多いのはバッテリーの故障だそうです。

とにかく値段が高いので我慢して使い、ヒューズがとんだら、そのまま直結してしまうために、走行中に突然燃え上がったりもするそうです。

ザンビアの人はとにかく自分のやり方に固執していて、どんなアドバイスをしても意見を聞こうとはしない傾向が強いのだとか。

ボスのいうことだけを聞いていれば、とりあえず給料はもらえるという現実がそこにはあります。

時にボスが自分の顔で知り合いの車を持ち込み、修理代はポケットマネーにしてしまうこともあるといいます。

部品を買おうと思っても、どこにもありません。

首都ルサカまでいって、その度に探すのだそうです。

実に500キロ離れているのです。

最近の車はコンピュータ化が激しく、全くのお手上げ状態だといってました。

貧富の差

貧しいといってしまえば、それまでのことですが、貧富の差が激しいですね。

コンパウンドと呼ばれる貧民住区へも行きました。

中国人、インド人にはお金持ちが多いようです。

なにも食べるモノがなく夕食のために売春をする人がいる一方で、5つ星ホテルで半日結婚式の披露宴をやる大臣の息子もいる国です。

ある意味で矛盾が山積しているのです。

しかし現地の人はそれほどつらいと思っているようにも見えませんでした。

それが彼らの人生そのものなのです。

希望がないというのでもありません。

どの人も人なつっこく、いい笑顔です。

学校見学にも行きました、

小学校は午前と午後のグループに分かれていました。

高い塀、バラ線、警備員の姿を見ながらJICA事務所でのブリーフィングも受けました。

昼間でも自動小銃を持った強盗がでるとのこと。

夜は外を歩かないように。

健康のために安全な水を確保すること。

蚊には絶対にさされてはいけません。

暢気な国で暮らしている日本人にとっては遠い話ばかりです。

ザンビア大学ウィルス研究所も訪れました。

もっとも深刻な問題にエイズがあります。

1992年、設立されたこの研究所はアフリカにおけるエイズ研究の最前線となっています。

かつてはアメリカやヨーロッパに血液をおくっていたものが、今ではここでは検査できるようになりました。

Antonio_Corigliano / Pixabay

内部は病院の検査室そのものです。

ほとんどの器具、検査機械、測定装置にJICAのマークがついていました。

かなり高価なものばかりだというのが第一印象です。

人材の育成のため、医師や技術者が日本で研修をうけています。

しかし薬が十分ではありません。

生まれた時から母子感染によりエイズに罹っている子供たちもたくさんいるのです。

これがザンビアの現実そのものです。

世界は本当に広い。

自分の目で見てみないとわからないことばかりだと実感しました。

どこから解決の糸口を探していけばいいのか。

道はあまりにも遥かです。

ぼくにとって考えさせられることばかりの研修旅行でした。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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