「言の葉の庭」新海誠監督が万葉集の言霊に捧げた透明な物語

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雲の向こう、約束の場所

みなさん、こんにちは。
今では随分前のことになりますが、新海誠監督の「君の名は」という大ヒットした映画がありましたね。
覚えていますか。
そのすぐ後に「天気の子」という作品も上映されました。
この映画は第92回アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表にもノミネートされました。
「君の名は」に続いての大躍進です。
実は数年前、新海監督の初期の時代の作品を見る機会がありました。
「ほしのこえ」と「雲の向こう、約束の場所」というタイトルのものです。
特に「ほしのこえ」はたった一人で全てを制作した作品です。
絵のタッチは荒いものの、そこには確実に詩魂がありました。
それで次の「雲の向こう、約束の場所」も見る気になったのです。
そのストーリーはぼくの想像を遙かに超えたものでした。
いつか起こるであろう戦争の後の風景を基調にしています。
日本が完全に南北に分断されている状況からの出発です。

世界の半分を覆う共産国家群「ユニオン」は「エゾ」を支配下に置き、島の中央に途方もなく高い、白い塔を建てます。
その頃、青森県の津軽半島に住む中学生の男子ヒロキとタクヤは異国の大地にそびえる塔にあこがれていました。
飛行機で国境の津軽海峡を越え、塔まで飛んで行く計画を立てたのです。
しかし、ある時、つい口を滑らせ、クラスメイトのサユリに知られてしまいます。
幸い飛行機に強い関心を持った彼女は計画の共犯者になってくれました。
しかしサユリはすぐに2人の前から姿を消してしまいます。
ここから話は一気にSFタッチになります。
塔を中心とした半径数キロメートルの空間が平行宇宙の暗闇に侵食されているなどという不思議な発想が登場するのです。
この間に奇病で眠り続けてしまうサユリと夢の中で交感するヒロキの世界がテーマを膨らませます。

宇宙の浸食

やがて平行宇宙の侵食は急激に拡大し、世界は暗闇に包まれていきます。
アメリカがユニオンに宣戦を布告し、津軽海峡で戦争が始まりました。
ヒロキはサユリを軍の病院から奪還し後部座席に乗せて、飛行機を発進させます。
そして塔を壊し宇宙の消失を食い止めることに成功するのです。
しかし約束の場所も永遠に失われることとなりました。
サユリは塔の設計者の孫娘だったのです。
その姿はいつの間にか夢のように消えてしまいました。
それから10数年後、大人になった主人公ヒロキは故郷の津軽半島に再び足を運びます。
思い出の廃駅は昔と変わらずそこにあったものの、北の空に塔はありません。
さらに彼の隣には誰ももういなかったのです。
この映画はぼくにとってあまりにも不思議な世界でした。
暗い色調の映画でしたが、つい最後まで見てしまいました。

その後、小説も読みました。
SFというものをそれまで読んだことがなかったせいか、なおさら謎めいた気分に翻弄されたのです。
しかし不愉快ではありませんでした。

言の葉の庭

以前からこの作品は気になっていました。
結局「君の名は」の後に見ることになりました。
万葉集に題材をとったという作品をいつか見たいと思っていたのです。
たまたま機会があり、見ることができたというワケです。
最初から絵がきれいで、すっかり虜になりました。
特に雨のシーンの美しさは他にはないと思います。
新海誠監督は雲を描くのがうまいと以前からいわれていました。
しかし今回、雨のシーンをみて、あらためてその目の確かさに驚きました。
正確にいえば、水の描写でしょうか。
反射する光の陰影がすばらしいと思います。
最後までみて一番感じたのは、題材の使い方のうまさです。
なんといっても登場する場所がいいですね。
新宿御苑という都会の中の緑。
その東屋の佇まい。

周囲のビルとのコントラストが見事です。
2013年の作品ですが、ちっとも古びてはいません。
主人公は靴職人をめざす15歳の高校生タカオと、27歳の高校教師ユキノ。
二人の魂のやりとりが雨のシーンとオーバーラップして、詩情豊かに描かれていきます。

小説と映画の違い

新海誠という人には、不思議な詩魂があると感じます。
それがさまざまなシーンにでてきます。
創りこまれた細部の描写があとから意味を重層的に知らせます。
未成熟であるということは苦いものだという認識を奥深く持っている人なのでしょう。
だから15歳などという若い主人公を配したに違いありません。
実はこの映画を見たあと、小説も手にとることになってしまいました。
小説と映画は全く同じではありません。
というより、これは本人も後書きに書いているように、この小説を映画にしたら2時間半はかかるでしょうというくらい詳細に書き込まれています。
それくらい登場人物の背景説明に時間をとっているのです。
主役の2人はもちろんのこと、母親、兄、それぞれの恋人、さらにユキノの前の恋人。
この人は偶然、タカオの担任でもありました。
ユキノはタカオの在籍している高校の国語教師でもあったのです。

そのことを全く知らずにある時、偶然のように知ることとなります。
そのあたりの描写も美しいです。
小説と映画、どちらの出来がいいのか。
小説は背景の説明にエネルギーを費やし、映画はひたすら雨のシーンをていねいに追いかけます。
イメージということでいえば、雨の日に公園の東屋でユキノの足のサイズを測るシーンは絶品ですね。
足は谷崎潤一郎を持ち出すまでもなく、女性に対するフェティシズムを強烈に表現します。
彼女のためにどうしても靴をつくりたいとする高校生の前に、足を投げ出すユキノの表情にはエロスの強烈な香りがします。
このシーンは作品の中で、最も2人の今後を象徴する場所といってもいいのではないでしょうか。
やがて梅雨が終わり、雨が降った日しか、学校をさぼらないとしたタカオとユキノは出会うチャンスを失います。

そして唐突にやってくる雷雨のシーン。
ここではじめてユキノの部屋を訪れ、最後に帰るといったタカオを引き留めなかったユキノは非常階段を追いかけます。
ラスト近くで、「ずっと嫌いだった」と叫ぶタカオにしがみつくユキノ。
学校で女子生徒の挑発にあい、登校できなくなったユキノに心の拠り所を示してくれたのがタカオだったのです。
彼女が担任の先生の恋人だったということもあまりに意外な展開ではあります。
このあたりに作為を感じる人がいるかもしれません。
彼女はその後四国へ戻り、県立高校の教員になります。
タカオはイタリア語を独学し、フィレンツェの学校から靴工房へ2年間の留学を果たすのです。
映画では全く描かれませんが、東京で会うためにそれぞれが移動していくシーンが意味深いです。
彼のバッグにはユキノのために作った靴が入っていることは言うまでもありません。

万葉集の言霊

この作品の背景には万葉集の言霊があります。
4500首を載せたこの歌集には、たくさんの人間の魂が宿っています。
それがオーバーラップして、ぼくには新たな魅力になりました。
もちろん小説の文体は今時のラノベに似ています。
格調が高いのかと言われれば、思わず首をひねりたくなる表現もあります。
しかしそれを差し引いてもいいだけの言葉をやはり新海誠という人は持っています。
そこがなによりの魅力です。

鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ

これが雷雨の中で2人の再会のシーンにピタリとあいます。
大江千里の作詞・作曲による楽曲「Rain」が好きだったと新海誠監督はインタビューでも語っています。
とにかくこの歌と万葉集のコラボさせて、1つの物語を作ってみたかったと。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田女王)

これも実に効果的に使われています。
この作品から万葉集のエッセンスを抜いたとしたら、随分とつまらないものになったでしょうね。
逆にいえば、そこにこの作品の成功のカギがあります。
人によっては、そういう装置がイヤだという考えもあるでしょう。
しかしぼくはあえて、そこに踏み込んだ作者の勇気を評価します。
この2人がその後どのようになるのか。
それは全ての読者や鑑賞者が自分で想像すればいいことです。
古くからいわれていることに言霊という信仰があります。
言葉には確実に魂が宿っています。
それに魅入られた新海誠という人が、ある意味で羨ましくもあります。
最初の頃、ここまで大きな名前になるとは想像もしていませんでした。
創作の神は、時として人に宿ります。

この人が、そのいい例になったのだとすれば、これからの道はひたすら険しいものになると予想されます。
苦しい時間も増えていくに違いありません。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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