「詩人への旅・丸山薫」海への憧れは限りなく

 

異邦人

詩人ははるかな海を夢見た。
エトランジェの言いしれない寂しさが、いつとはなしに少年の心を海に向かわせたのである。
丸山薫は明治三十二年、大分県荷揚町に生まれた。
官吏であった父の仕事の関係で各地を転々。
その度に小学校をかえ、満足に友達もできなかった。

自分は異邦人なのではないだろうか。
いつまで孤独の中に生きなければいけないのか。
少年の心は乱れた。
しかしその頃から海への憧れだけは大きくなる一方であった。
それは見知らぬ国への淡い夢であり、新しい抒情への出発であったのかもしれない。

私は遠い海が好きです。
海の向こうに未知の国があるという期待がつながるのです。
水平線の向こうにある陸地には、未来の体験がたたみこまれていると思うのです。

デカダンス

少年の日の憧れと挫折感は『帆・ランプ・鴎』に結晶した。
深い悲しみと虚無感。
ロマンチックな夢と海のあおさ。
輝かしい詩人の出発がそこにはあった。
「丸山君はデカダンスでニヒリストである。しかし彼の素質の中には、一人のロマネスクな騎士が住んでいる」
萩原朔太郎は彼の資質を高い調子でほめたたえた。

破れた羽根をひろげた鶴に
破れた羽根よりほかのなにがあらう
破れた羽根を
帆のやうに
いっぱいに傾けて
鶴よ 風になにを
防ごうとしてゐるのだ

どことなく投げやりで、それでいて甘い響きを持った詩だ。
言葉の向こう側からふっと潮風が流れてくるような気さえする。
詩人は古風な船用ランプを部屋の壁にかけ、時折所在ないときは、それを指でおしては遊んだという。
「どこか小さな汽船の船長」のようだと朔太郎は評した。
丸山は十二歳の時、五度に及ぶ転校の末、母方の祖父のいた愛知県豊橋に移り住んだ。
そして、この地が彼の思い出に残る故郷になったのである。
薫は祖父の話を聞くのが好きだった。
漢学の素養を持っていた祖父は、世界中のおとぎ話や、童話をよく話してくれた。
彼の文学的素質はこのころから芽生えていったのであろう。

伊良湖岬

豊橋は渥美半島から成り立つ土地である。
その先端は鶴の渡りで有名な伊良湖岬だ。
よく彼は岬にたった。
そして遙かな沖合をじっと眺めた。
大きな光の束が、その横顔に容赦のない熱を運ぶ。

鴎は窓から駆けこんで
洋燈を衝き倒し
そのまま闇に気を失ってしまった
嘗ては希望であったらう
潮によごれた翼が
いまは後悔のやうに
華麗に匂っている

水先案内人

丸山薫の詩と海が切ってもきれないのは、この豊橋での生活があったからである。
父はとうに亡くなってしまった。
母も既にない。
来しかたを振りかえってみた時、詩人の心にはさまざまな想いが去来する。
彼は戦中、戦後の三年余を山形県ですごしたものの、再び郷里豊橋に住み、その地をでることはなかった。
「昔は船乗りになりたかった。しかしもし船乗りになっていたら、私には海はなかったかもしれません」
丸山薫にとって、海とは詩人の精神を自由に解き放ってくれる、もう一つの夢の世界であったのだろう。
その中で彼は心からポエジーの水先案内人になりえたのである。

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