にくきものの役割
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
『枕草子』の魅力は、清少納言の感覚の鋭さにありますね。
審美眼とでもいった方がいいのかもしれません。
彼女の気分にあわないものは、みな「にくたらしいもの」の範疇に入るのです。
わかりやすくいえば「ストレス」の元です。
清少納言独特の細やかな視線には驚かされます。
日常生活の全てに目が向いているのです。
同時に、当時の宮廷社会における人間関係や感情の複雑さを浮き彫りにしています。
「にくきもの」は単に嫌悪感を表すものではありません。
ポイントは彼女が何を重視し、どのような美を追求していったのかという点にあります。
日常生活の中で感じる不快な場面を挙げることで、逆に理想の美や快適さを強く表現したかったのです。
その結果、感性を際立たせることに成功しました。
清少納言は、周囲の人々や出来事に対して非常に鋭い観察力を持っています。
それだけに単なる個人的な感情に留まらず、当時の社会や文化に対する批評としても機能しているのです。
彼女はいつも他者の行動や態度を冷静に分析しました。
それを次の瞬間、笑いや風刺にかえてしまいます。
感情のレベルを超え、より広い視野で社会を捉えられたのです。
「にくきもの」を読んでいると、時に苦痛や不快感を伴います。
このような感覚は、彼女の内面に潜む不安や孤独感を反映しているとも考えられます。
宮廷という華やかな舞台は、見栄、嫉妬、嘘などが複雑にからむ修羅場でもありました。人間関係のもつれや虚偽を見抜き、その苦しさを表現することで、自己を守ろうとしたのかもしれません。
定子サロンの女房として、自分の存在意義やアイデンティティを探る手段でもあったのでしょう。
この段はとても長いので、半分ほどをここに紹介します。
残りはご自身で調べてみてください。
本文
にくきもの いそぐ事あるをりにきてながごとするまらうど。
あなづりやすき人ならば、「後に」とてもやりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いとにくくむつかし。
すずりに髪の入りてすられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
俄かにわづらふ人のあるに、験者もとむるに、例ある所にはなくて、ほかに尋ねありくほど、いと待ちどほに久しきに、からうじて まちつけて、よろこびながら加持せさするに、この頃もののけにあづかりて、困じにけるにや、ゐるままにすなはちねぶりごゑなる、いとにくし。
なでふことなき人の、笑がちにて物いたういひたる。
火桶の火、炭櫃などに、手のうらうち返しうち返し、おし のべなどしてあぶりをる者。
いつかわかやかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶のはたに足をさへもたげて、物いふままにおしすりなどはすらめ。
さやうのものは、人のもとにきて、ゐんとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎちらして、塵はきすて、ゐもさだまらずひろめきて、狩衣のまへまき入れてもゐるべし。
かかることは、いふかひなき者のきはにやと思へど、すこしよろしきものの 式部の大夫などいひしがせしなり。
また、酒のみてあめき、口をさぐり、ひげあるものはそれをなで、さかづきこと人にとらするほどのけしき、いみじうにくしとみゆ。
また、「のめ」といふなるべし、身ぶるひをし、かしらふり、口わきをさへひきたれて、わらはべの「こふ殿にまゐりて」などうたふやうにする、それはしも、まことによき人のし給ひしを見しかば、心づきなしとおもふなり。
物うらやみし、身のうへなげき、人のうへいひ、つゆちりのこともゆかしがり、きかまほしうして、いひしらせぬをば怨じ、そしり、また、わづかに聞きえたることをば、我もとよりしりたることのやうに、こと人にもかたりしらぶるもいとにくし。
物きかむと思ふほどに泣くちご。
からすのあつまりてとびちがひ、さめき鳴きたる。
しのびてくる人見しりてほゆる犬。
現代語訳
しゃくにさわるものは急ぐことがある時にきて、長話をする客人です。
いい加減に扱ってもよい人ならば「あとでまた」といってかえすこともできますが、さすがに遠慮のいる人の場合は、大層しゃくにさわり、面倒なものです。
硯に髪が入っているのもしゃくに障ります。
また、墨の中に石がきしきしと音を立てるのもすごく嫌です。
いきなり病気になった人がいて、あわてて祈祷をしてくれる人を探しているのに、いつも行くところにはいなくて、他に訪ねたりするのは、たいそう待ち遠しく時間がかかって、ようやく待って会って、喜びながら加持祈祷をしてもらうのに、近頃あちこちにでかけて疲れきっているのか、坐るや早々眠り、いびきをかいたりするのは、本当にしゃくに障ります。
とりたてていうほどのこともない人が、妙に笑顔ばかりでしゃべっているのも嫌ですね。
火桶や炭櫃に手のひらを裏返し裏返しどんどんあぶっている人。
いつ若々しい人がそんなことをするものでしょうか。
年寄りがかったものこそ火桶のわきに足などさえもたげて、ものを言うだけなのに。
そのような者は、人のもとにきて、座っているところを、まず扇を持ち出して、こちらもあちらも扇ぎ散らかして、塵を履き捨て、居住まいもきちんとしません。
ただふらふらして、狩衣の前の帯から下に垂れた所は向うへたくしこんでいます。
こうした不作法なことは、とるに足りぬ身分の者がするのかと思うけれど、少しは人並みの式部の大夫などという者がしているのです。
また、お酒を飲んで騒ぎ、口を触り、ひげがあるものはそれをなで、盃を人に取らせる時の様子は、たいそうしゃくにさわるものにみえます。
また、「飲め」というの、身震いをし、頭をふり、口をへの字にして、子供たちの、「国府殿に参りて」などと謡うようにする人は嫌ですね。
それというのも、まことに高い位の人がなされているものを見たので、気に食わないと思うのです。
人のものをうらやみ、自分の身の上を嘆き、人の身の上を言い、ちょっとしたことでも知りたがり、聞きたがって、言い知らせぬことを恨む人。
非難して、また、ちょっと耳にはさんだことを、自分がもとから知っていることのように、他人にも語り知らせるというのも、大変しゃくに障るものです。
ものを書こうと思うときに限って泣き出す幼児も嫌。
からすが集まって飛び交い、騒ぎ鳴くこともしゃくにさわる。
人目を忍んで来る人を、それと知って吠える犬も嫌。
にくきものの背景
清少納言は、特に「うるさい虫」や「夜の虫の声」が嫌いだったようです。
これらは彼女にとって耳障りな存在であり、彼女の静けさや平和な時間を脅かす「にくきもの」でした。
彼女が暮らしていた平安時代は、自然との調和が重視される一方で、日常生活には多くの音や騒音が存在しました。
虫の声は自然の一部であるものの、彼女にとっては不快な存在であり、特に夜の静寂を乱すものとして強く意識されていたのです。
このような感覚は、彼女の求める美や静けさに対する渇望を反映しています。
幼児の泣く声、からす、犬などの鳴き声も彼女の神経にとっては許せないものでした。
またにくきものとして、挙げられているのが薄情な人です。
清少納言は、薄情で冷淡な人々を「にくきもの」として挙げています。
彼女は、他者との関係において誠実さや温かさを重視しており、それが欠けている人々に対して強い反感を抱いていました。
平安貴族社会では、礼儀や人間関係が非常に重要視されました。
彼女は、宮廷生活の中で人々の虚飾や偽善に敏感であり、薄情な行動を批判することで、自己の価値観を明確にしています。
このような視点の裏には、当時の人間関係の複雑さや、表面的な礼儀の裏に潜む人間の本質があります。
それを見抜いていただけに、いくつもの表記がなされているのです。
また彼女は汚れた食器や不潔なものも、「にくきもの」として取り上げています。
見た目や清潔さを非常に重んじており、特に食に対するこだわりが強いことが伺えます。
食事は社交の場であり、清潔さはその重要な要素でした。
食器が汚れていることは、相手に対する礼の欠如を示すものです。
清少納言はそのことを強く意識していました。
このような感覚は、彼女が求める「上品さ」や「洗練された生活」を体現するための基盤でもあります。
清少納言は、身の回りの出来事や人々の行動を通じて、自らの価値観を明確にし、同時に当時の社会の複雑さを浮き彫りにしているのです。
「にくきもの」に対する視点は、当時の女性の社会的地位や役割をも映し出しています
細かな描写は、当時の文化的価値観や美意識も示しています。
清少納言の「にくきもの」に関する記述は、平安時代の人間関係、美意識、自然観、女性の役割、そして文化的価値観を深く洞察するための貴重な資料です。
このような視点は、彼女がより広い視野で自らを見つめることができる自立した女性に強く憧れていたことの証明でもあります。
彼女の独自性は、女性としての自立性を強く感じさせる点にありました。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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