「枕草子・大納言殿参り給ひて」定子サロンの雰囲気が色濃くにじむ章段

定子サロンの記録

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『枕草子』を読みます。

日本三大随筆の1つとされていますね。

作者、清少納言の卓抜な筆致がみごとというしかありません。

歌人、清原元輔(もとすけ)の娘として生まれ、幼いころから和歌や漢詩文を教えられたことの意味は大きいです。

独特の感性もその中で育まれていったと考えるのが自然でしょう。

一条天皇の中宮定子に仕えていたころの生活を記録した日記的章段は、当時の宮廷の様子を見事に描写しています。

今回とりあげた章段は、定子の兄、藤原伊周(これちか)の教養や風流を回想したものです。

中の関白家の人々への賛美は、日記的な回想の中に繰り返し出てきます。

この家系は後に没落していく宿命にあります。

それだけに話題の1つ1つに哀感が漂いますね。

中の関白家とは藤原北家の中の、平安時代中期の関白藤原道隆を祖とする一族の呼称です

場面は清少納言を含めた女房達が、一条天皇と中宮定子のそば近くに仕えているところへ、

伊周が参上して、天皇に漢詩文を進講するところから始まります。

途中にある「かかること」というのは、鶏の鳴き声で天皇が目を覚ましたとき、大納言が即座にその場にあった詩句を朗詠したことをさすのです。

その場の雰囲気にふさわしい言葉をすぐに出せる人は、清少納言のように

言語感覚のすぐれた人には特に魅力がある存在だったのでしょう。

伊周がどれほどすぐれた人物だったのかということを、強調したかったのに違いありません。

突発的なできごとにも、詩を引き合いに出して優雅にとりなしてしまう。

大納言伊周の洗練された教養に対して感動している様子が、実にうまく表現されています。

最初に本文を読んでみましょう。

本文

大納言殿参り給ひて、文のことなど奏し給ふに、例の、夜いたく更けけぬれば、

御前なる人々、一人、二人づつ失せて、御屏風・御几帳の後ろなどにみな隠れ臥しぬれば、ただ一人、眠たきを念じて候ふに、

「丑四つ」と奏すなり。

「明け侍りぬなり」と独りごつを、大納言殿、

「いまさらに、な大殿籠りおはしましそ」とて、寝べきものとも思いたらぬを、

「うたて、何しにさ申しつらむ」と思へど、また人のあらばこそは紛れも臥さめ。

上の御前の、柱によりかからせ給ひて、すこし眠らせ給ふを、「かれ見奉らせ給へ。今は明けぬるに、かう大殿籠るべきかは」

と申させ給へば、「げに」

ilyessuti / Pixabay

など宮の御前にも笑ひ聞こえさせ給ふも知らせ給はぬほどに、長女が童の、鶏を捕らへ持てきて、

「朝に里へ持ていかむ」

と言ひて、隠しおきたりける、いかがしけむ、犬見つけて追ひければ、廊の間木に逃げ入りて、

恐ろしう鳴きののしるに、みな人起きなどしぬなり。

上もうち驚かせ給ひて、「いかでありつる鶏ぞ」など尋ねさせ給ふに、大納言殿の、「声、明王の眠りを驚かす」

といふことを、高ううち出だし給へる、めでたうをかしきに、ただ人の眠たかりつる目もいと大きになりぬ。

「いみじき折のことかな」

と、上も宮も興ぜさせ給ふ。

なほかかることこそめでたけれ。

またの夜は、夜の御殿に参らせ給ひぬ。

夜中ばかりに、廊に出でて人呼べば、「下るるか。いで送らむ」

とのたまへば、裳、唐衣は屏風にうち掛けて行くに、月のいみじう明かく、

御直衣のいと白う見ゆるに、指貫を長う踏みしだきて、袖をひかへて、

「倒るな」と言ひて、おはするままに、

「游子、なほ残りの月に行く」と誦し給へる、またいみじうめでたし。

「かやうの事、めで給ふ」とては笑ひ給へど、いかでか、なほをかしきものをば。

現代語訳

大納言殿が参上なさって、漢詩文のことなどを天皇に奏上なさるうちに、いつものように、

夜がすっかり更けたので、おそば近くにいる女房たちは、一人、二人ずつ姿を消して、

屏風や几帳の陰などに皆隠れて寝てしまったので、私はただ一人、眠いのを我慢してお控え申し上げていると、

「丑四つ」と奏上しているようです。

そこで私は「夜が明けてしまったようね」と独り言を言うと、大納言殿が天皇や中宮様に

「今となっては、もうお休みなさいますな」

とおっしゃって、寝るはずのものとも思っていらっしゃらないので、

まあ、なぜそのように申しあげてしまったのだろうと思うけれども、

他の女房がいるのならばうまく紛れて寝るにちがいないが、一人なのでどうしようもありません。

天皇が、柱に寄りかかりなさって、少し眠っておられるのを、大納言殿が

「あれをお見せ申しあげなさい。今は夜が明けてしまったのに、このようにお休みになってよいものでしょうか」

と中宮様に申しあげなさると、

「本当に」

などと中宮様もお笑い申しあげなさるのも、天皇はご存じないうちに、長女の召し使う童女が、鶏を捕まえて持ってきて、

「朝になったら実家へ持っていくの」

と言って、隠しておいたのが、どうしたのでしょう、犬が見つけて追いかけたりしたので、

鶏は廁の上長押の上の棚に逃げ込んで、恐ろしく鳴き騒ぐので、女房たちは皆起きたりなどしてしまったようです。

天皇も目をお覚ましになって、「どうしてこんな所に鶏がいるのか」

などとお尋ねになると、大納言殿が

「声、明王の眠りを驚かす」という詩句を、声高に吟誦なさったのが、

すばらしく趣深かったので、明王ならぬ臣下である私の眠たかった目も突然大きく開きました。

「すばらしく折に合った詩句だな」

と、天皇も中宮様もおもしろがりなさるのです。

なんといってもこのような即興で詩句を吟誦する事はすばらしいことです。

翌日の夜は、中宮様が天皇の寝室に参上なさいました。

私は夜中頃に、廁に出て人を呼ぶと、大納言殿が「局に下がるのか。さあ、お送りしよう」

とおっしゃるので、裳、唐衣は屏風に軽く掛けて行くと、月がたいそう明るく、

大納言殿の御直衣がとても白く見えて、指貫を長く踏みつけて、私の袖を引っ張って

「転ぶな」と言って、送っていらっしゃるままに、

「遊子、なほ残りの月に行く」と朗詠なさったのは、やはり、とてもすばらしいことでした。

「このような程度のことで褒められたりするのかな」

と大納言様はおっしゃって笑いなさるけれど、どうして、やはり素晴らしいものを誉めずにいられますでしょうか。

当意即妙なやりとり

丑四つは今の午前2時半です。

まだ夜明けでもないのに「夜が明けたようです」といった心情を想像してみてください。

前に眠いのを我慢していたとあり、次に大納言が即座に「お休みになるな」と述べているので、

そろそろ休みたいという清少納言の心情を表していると読み取る必要があります。

他の女房達は屏風や几帳の後ろなどに姿を消してみな寝たのに、作者1人が眠いのを我慢して起きていたのはなぜなのでしょうか。

作者の敬愛している中宮定子は兄の大納言(伊周)が一条天皇に漢詩文を進講しているので

起きていて、中宮に目をかけられていた作者は、天皇のおそばにいる中宮の近くに控えていたのです。

大納言が作者に対して「今さら寝るな」と声をかけたのも、妹中宮が寵愛する女房への親しみから出ていると理解すればよくわかります。

伊周がうたったのは「声、明王の眠りを驚かす」という一節のある漢詩です。

鶏人頑唱 声驚明王眠
鳧鐘夜臨 響徹暗天聴

書き下しは次の通りです。

鶏人(けいじん)暁に唱ふ 声明王(めいおう)の眠りを驚かす
鳧鐘(ふしょう)夜鳴る 響暗天(あんてん)の聴きに徹る

夜明け方に、鶏冠(とさか)をかぶった官人が暁の時刻を奏し、その声が聡明な王の眠りを覚ますのです。

時刻を知らせる鐘が夜には鳴り、その響きが暗い夜空を伝い人々の耳に達して聴こえる、という意味です。

もう1つの「遊子なほ残りの月に行く」は。

佳人尽飾於晨粧 魏宮鐘動
遊子猶行於残月 函谷鶏鳴

佳人(かじん)尽(ことごと)く晨粧(しんしょう)を飾りて
魏宮(ぎきゅう)に鐘動(うご)く
遊子(ゆうし)なほ残りの月に行きて
函谷(かんこく)に鶏鳴く

意味は次の通りです。

離宮に暁の鐘がなると、美しい人はみんな朝の化粧をする。

函谷関に夜明けを告げる鶏は鳴くが、旅人は残る月の下やはり歩き続ける、です。

このような漢詩をその場ですぐに披露できる伊周に、驚きを禁じ得なかった清少納言の感性を想像してみてください。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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