【唐土の后の兄・閑居友】放浪をやめなかった兄が目指した救済の形とは

唐土(もろこし)の后の兄

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『閑居友』に載せられた昔の話をとりあげます。

編者の慶政は、宋に行ったときに放浪癖のある王の后の兄の話を聞きました。

妹の后は、兄の放浪癖に困り果てていたようだが、兄の放浪にはきちんとした目的があったのです。

かつて中国で、王の后の兄が突然家を出て放浪を始めたそうです。

誰かわからないほどみすぼらしい姿なので、苦労がやむことはありませんでした。

王の后の兄がなぜそんな奇妙な行動をとったのか。

だれにも理由がわからなかったのです。

どうしようもなくなった妹は、なんとか放浪をやめさせようと、兄に告げました。

ところが聞き入れてくれません。

仕方なく后は諸国に宣旨を出すことにしました。

生活に困った者が放浪していたら、親切に応対するよう命じたのです

おかげで多くの困窮者の心配がなくなっていきました。

人びとは喜び、后の兄の絵を描いて尊んだといいます。

国中に困窮者が多く、彼は心を痛めていたのです。

なぜ恵まれた高貴な身分である彼がそんなことをしたのか。

諸国を流浪する人々を救済するためだったのです。

『閑居友』は説話集です。

編者は慶政。

1222年ころに成立しました。

32編の仏教説話から出来あがっています。

慶政は藤原道家の兄と言われています。

本文

唐土に侍りしとき、人の語り侍りしは、昔、この国の王の后の兄にてある人ありけり。

にはかに走り出て、ここかしこ跡も定めずぞありける。

貧しくあやしき姿にてあらば、人も何のあやめもなし。

遠きほどにては、折にふれつつ、わびしくわづらはしきことのみありけり。

おとうとの后、からうじて呼び寄せて、さまざまにくどきて、

「今よりは、のどまりておはすべし。さるべきことも、はからひあて申さん。」

と聞こえさせければ、「さにこそは侍らめ。」とて居たるほどに、また人目をはかりて、逃げ出でにけり。

かくすることたびたびになりければ后もこのことかなはじとて、国々に宣旨申し下して、

「あやしのわび人のさすらひ行かんに、

必ず宿を貸し、食ひ物を用意して、ねんごろにあたるべし。」とぞ侍りける。

さて、その人ひとりのゆえに、多くのわび人みな、その陰に隠れて、わづらひなくて喜び合ひたりけりとなん。

さて、そのかたしろを絵に描きて、あはれみ尊みて、人みな持ちたり。

「あはれ、このほど売りて来よかし。買ひて取らせん。」と言ひき。

わび人の姿にて、頭には木の皮をかぶりにして、竹の杖つきて、藁沓履きたる姿とぞ。

これは、そのとき、世の中にわび人どもの多くて、ものも乞ひ得で、わびありきけるを見て、

かれらを助けんために、かくしつつ歩きけるなりけり。

現代語訳

私が中国におりましたとき、土地の人が語りましたことは、こういう話なのです。

昔、この国の王の后の兄にあたる人がおりました。

その人は突然家を走り出て、あちらこちらと行方も定めないでさまよい歩いていました。

貧しくみすぼらしい姿なので、人々が見ても王妃の兄君だとは誰も見分けがつきません。

都から遠いところにいるときには、何かにつけて厄介で面倒なことばかりがありました。

妹の后が、やっとのことで兄を呼び寄せて、あれこれと兄を説得して、

「これからは、落ち着いて安心して暮してください。

お兄様が安心してお暮しになれるように、ちゃんと取り計らうつもりですから。」

と申し上げなさったところ、

「そのようにしましょう。」と言ってしばらく滞在しているうちに、

またしても人目を盗んで、宮殿を逃げ出してしまいました。

このようなことが何度も度重なるようになったので、后ももうどうしようもないだろうと思って、

国中におふれを出して、

「みすぼらしく困っている人であてもなくさまよい歩いているような人には、

必ず宿を貸し、食い物を用意して、親切にしてやらなければならない。」

というご命令を下したのです。

それで、后の兄という人一人のために、たくさんの困窮者たちがみんな、

その恩恵を受けて、食べ物や宿の心配がなく喜びあったということです。

そして、その兄の姿を絵に描いて、大切にし敬って、人々はみな持っていました。

「ああ、その姿絵をこの近くに売りに来なさい。買い取ろう。」と私(慶政)は言いました。

その絵は、困窮者の姿で、頭には木の皮をかぶりものにして、竹の杖をついて、藁沓を履いた姿だったということです。

実は、この当時、世の中に困窮した人が多くて、物乞いすることもできなくて、

困って放浪していたのを后の兄が見て、彼らを救済するために、

このように身をやつしては放浪していたのであったということなのです。

説話のあたたかさ

この話は筆者の慶政が宋の国へ行った時に、現地で聞いた話だそうです。

当時は生活に困って、諸国を流れ歩いている人たちが多かったのでしょう。

その現実を見た后の兄が決心をしたに違いありません。

ある意味、妹である后もなかなかの人物ですね。

貧しくて困った恰好の人がいたら、それが兄かもしれないのです。

そうした彼らに手厚い保護をしなさいという宣旨(命令)を出すのも、ある意味すごいです。

恩恵と呼ばれる徳の与え方でしょうか。

喜捨という表現もありますね。

貧しい人たちが、その兄の姿を絵に描いて尊敬したというのも、胸にくる話です。

この説話が具体的にいつの時代のことなのかがわからないというところが、

逆に味わいを深くしているのかもしれません。

難しい話ではないので、意味も大変わかりやすいです。

こんな話もあるということを、胸に刻んでおいてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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