「詩人への旅・中原中也」故郷はいまだ遠く  

谷あいの町

湯田は温泉の町である。
その名の通り、田から微量の鉱分を含んだ湯が湧き出てくる。
山口市や周防灘沿岸からも湯治客が訪れる遊蕩の町だ。
中原中也はこの谷あいの町に生まれ、そこで青春を送った。
父が軍医であったため、旅順、広島、金沢の地を転々。故郷に戻ったのは七歳の時であった。
堪野川の流れは今も清く澄んでいる。
少年時代の中也は水辺でよく遊んだ。

やがてその蝶が見えなくなると、いつのまにか、今まで流れてもゐなかった河床に、水はさらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました

『一つのメルヘン』の世界は彼の幼い頃そのままである。
少年は遠い世界を夢見た。
母に連れられていった旅順や、金沢の風景が胸のどこかに棲みついていたのかもしれない。
いったい故郷とはなんだろう。
近代の詩人達に望郷の詩が多いのはなぜだろう。
その抒情を故郷の何に見いだそうとするのか。
中也の詩碑は生家の近くにあった。

詩碑

高田公園である。
黒みかげの美しい石碑で、思わずみとれてしまった。
デザインも石そのものの形もみごとなものだ。
背後の木立がおおどかな夕暮れの陽に赤く染まっている。
意志的な字あった。

小林秀雄の筆である。

これが私の古里だ。
さやかに風も吹いてゐる
「ああ、おまへは、何をして来たのだと」
吹き来る風が私にいふ

大岡昇平の文が側面に刻んである。
二人とも中原を深く揺らした友人だった。
この詩はわずかに14行のものだ。
碑には最も中也的な部分がひかれている。
誠に心憎いという他はない。
特に後半の二行がいい。

一人の女性

この部分に中也の悔恨、痛み、畏れなどが凝縮されている。
他の部分に比較して、格段に暗い。
小林秀雄との間には一人の女性が介在した。
長谷川泰子である。
彼女は中也との生活に別れを告げ、小林の許へ去る。
しかしその後、彼からも離れていく。
中原はよく小林秀雄や大岡昇平と歩くときに、こう呟いたという。
ぐでんぐでんに酔っていたときもあったろう。
ああ、ボーヨー、ボーヨーと。
前途茫洋のことである。
小林は「詩人を理解するということは何と辛い想いだろう」と何度も嘆いている。

それは中也自身にしても同じことだったろう。
自分で自分がわからないというジレンマ。
だがこの「帰郷」という詩にはどこか甘えにも似た優しさが潜んでいる。
それが読む人間にとって救いにもなる。
中也の生家は今も残っている。
ランボー詩集を訳した茶室もひっそりと佇んでいる。
小京都と呼ばれる湯田の地にはキリスト教の伝統や遺跡も多い。
ザビエル記念聖堂や、祖父がその建設に努力したといわれるザビエル祈念碑、カトリック墓地など。
山口線に乗ってもう少し奥へ入れば、キリシタン殉教の地、津和野に到る。
中也がもしキリスト教と深く関わっていたらと想像するのは楽しい。

汚れっちまった悲しみ

「汚れっちまった悲しみ」などという表現がその時もあらわれたかどうか。
愛児文也を亡くしてからの彼は痛々しいだけである。
中也に故郷は似合わない。
しかし詩碑の黒々とした重量感が、帰郷への熱い願いを想わせる。
故郷喪失者がここにも一人いた。

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