
強い決意
昭和四年は萩原朔太郎の人生にとって、大きな意味を持つ年であった。
親友室生犀星への手紙には彼の強い決意がにじみ出ている。
「僕はいよいよ生活上の決算をする。本年は著作上での決算をしてしまったからついでに一切を帳じめにして、新しく人生のページを書き出そうと思っている」
朔太郎の家庭は混乱しきっていた。
日々繰り返し続けられるダンス。
そこに入りびたって意味もなく踊り狂う男達。
彼はとうとう妻の稲子を殴った。
「僕の田舎に行ってる留守の間に、若い男を家に引き入れ、一週間も同宿させていたのである」
離別はあっけないほど簡単に行われた。
もはや家ではなかった。
二人の子供達をマントに包んで、生地前橋への旅にたった。
実生活の破綻、虚無、疲れ。
そういったものが彼の内部でじっとくすぶっていた。
喪失の実感
夜汽車の座席は堅く、灯りは暗かった。
彼の傍らで眠っている子供の顔はぐったりと疲れ切っていて、生気がなかった。
(実家に帰ったとしても、どういう生活があるというのか……)
四十四歳の朔太郎にとって、喪失の実感は強いものであった。
一人の人間として満足に生きていくことのできない後ろめたさが、彼を責めさいなんだ。
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を
明るくせり
まだ上州の山は
見えずや
上州の山
前橋は赤城山の南麓にある古い城下町である。
上州と呼ばれるこの地では、冬、たえず冷たい風が吹く。
人々は凍りつくような青空と、空っ風の中で日々の生活を営んできた。
「帰郷」の詩碑は利根の松原の名残をとどめている敷島公園の中にあった。
松の梢が強い北風に吹かれて、たえず上下に揺れている。
堂々とした碑であった。
黒い板面に彫り込まれた詩の行間からは、詩人の苛立ちがあふれ出てくるような気さえする。
朔太郎はしょせん生活人にはなれなかった。
父密蔵は有能な医師であり、町の名望家でもあった。
家は豊かで、何不自由のない生活が約束されていたのである。
「朔ちゃんは金銭にはなんら関心を持たず、五十七歳で死ぬまで、生活については一度も心配したこともなく……」と親戚の一人は書いている。
マンドリンとギター
神経質で臆病だった彼は、医者になることもできず、音楽と詩の中に自分の世界をみつけていった。
マンドリンやギターを爪弾きながら、書斎から茜色に輝く雲をよく眺めていたという。
彼は詩作に飽きると、時折前橋公園を訪れた。
松林をふらふらとさまよい歩き、大渡橋を抜けて家路につく。
そこは後年『郷土望景詩』に描いた彼の内なる風景でもあった。
広瀬川にそって町の中を歩いてみた。
川の畔には黒々とした詩碑もたっている。
水がゆったりと岸を洗うように流れていた。
もちろん、車の騒音やビルの中にかつての前橋をさぐるのは難しい。
しかし前橋刑務所の赤いレンガ塀や、二子山付近の土くれだった道には、朔太郎の詩の匂いが色濃く漂っていた。
彼は故郷に向かう汽車の中で何を考えていたのだろうか。
上州の山、上州の山と念じながら、車窓を眺める目は冷たく光っていたのではないか。
憂愁は朔太郎にとって既に親しい友でもあったのである。


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