「詩人への旅・高村光太郎」空は遙かに青くすんで  

高村光太郎

東北本線を北にのぼっていくと、白河、郡山を経て二本松に着く。
光太郎の妻、智恵子の生まれた故郷である。
冬であった。
プラットホームにはうっすらと雪がつもり、風が冷たかった。
光太郎は東京下谷の生まれで、東北に縁のある人間ではない。
しかしその彼を後に北の地へ導いたのは智恵子であった。

あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川

安達太良山

郊外の霞ケ城址にのぼると、どっしりとした石に刻まれた詩碑がたっていた。
あたりは雪に覆われた白銀の世界である。
北面を望むと安達太良山、その反対側に二本松市内。
山々は雪でその稜線を飾っていた。
阿武隈川の流れも心なしか緩やかで、弱い太陽の反射を受けている。

それにしてもこの有名な山はなんと穏やかな表情をしていることか。
幾重にも重なった山の襞の中に、多くのいのちが潜んでいるかのようだ。
高村光太郎が初めて女流画家、長沼智恵子に出会ったのは明治四十四年、二十九歳のときであった。
雑誌『青鞜』に表紙絵を描いていた彼女は、既に女流画家としての道を歩き始めていた。
光太郎は智恵子を得て、はじめて一人の詩人となった。

愛する人

をんなが付属品をだんだん棄てると、どうしてこんなにきれいになるのか
年で洗われたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属

光太郎は愛する人を手に入れて、強くなった。
彼女のために何かをしてあげることが同時に自分の人生を豊かにしていく。
内面的に最も充実した生活を、彼はこの時期に心ゆくまで味わうことができた。
彫刻、詩、翻訳、そして愛の生活。
光太郎には他の何も必要がなかったであろう。
室生犀星は『我が愛する詩人の伝記』の中で、二人の愛情生活を見事に描き出している。
夏の暑い夜半に光太郎は裸になって、おなじ裸の智恵子がかれの背中に乗って、お馬どうどう、ほら行けどうどうと、アトリエの板の間をぐるぐる廻って歩いた。
愛情と性戯がかくも幸福な一夜を彼らに与えていた。

智恵子抄

詩人の内面に一人の女が与えた影響ははかりがたいものがある。
それは『智恵子抄』の詩のどれにも強く感じられる。
城址の広場にたったまま、智恵子があれほどに願った「本当の空」を見上げてみた。
なるほど冬の二本松は空が高い。
どこまでも青くすんで透明な色調を保っている。
冷たい風に身をまかせてしまうと、むしろ爽快な気分にさえなった。
雪をかぶった木々の背後からは、時折聞きなれない鳥の甲高い声が響いてくる。

智恵子が生まれた家を訪ねようとしたが、その家はすでに人手に渡り、代がかわっていた。
昔の造り酒屋だったらしい旧家の趣がわずかに残っている。
陽が暮れかかり、北風が容赦なく頬をたたいた。
昭和十三年、智恵子が亡くなってからの光太郎には、冷たい冬しか残されていなかった。
彼女の死と時を同じくして、制作中だった団十郎の首は九分通りできて、ひび割れてしまったという。

詩人は後年、十和田湖畔に乙女像をたてた。
「裸婦でもいいだろうか」と訊ねた彼の内部には、智恵子への追慕の想いだけが熱くみなぎっていたのであろう。

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