【水魚の交わり】劉備玄徳は漢室再興の志を参謀である諸葛孔明に委ねた

水魚の交わり

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は『三国志』にまつわるお話をします。

「水魚の交わり」というのはよく聞く言葉ですね。

本当に親しい人間の関係をさす表現として使われています。

もちろん、水がなければ魚は生きていけません。

魚は水の中にいる時だけ、自然に振る舞えるのです。

ひとたび、そういう関係が築ければ、これ以上の幸せはないでしょう。

以前は友人関係についてよく使われた表現です。

今では夫婦や男女の仲むつまじい様子を、例えていう時の表現にもなっています。

この言葉の由来は、中国の三国時代にまでさかのぼります。

蜀の劉備が、軍師であった諸葛亮(孔明)との親密な間柄を語ったことにあります。

劉備の台詞の中にある「孤の孔明あるは、なお魚の水あるが如し」と説明したという故事に由来しているのです。

どんなに苦しいことがあっても、互いに助け合い困難を乗り越えていく姿は、「水魚の交わ

り」にふさわしい関係性と言えます。

漢室再興の大志を抱く劉備は、参謀となる人材を探し求め、諸葛孔明を得ます。

「三顧の礼」という有名な表現をご存知でしょうか。

できるだけの礼を尽くして、自らの大望のために彼を招き入れました。

孔明は以後軍師として活躍し、蜀の建国に貢献したのです。

『三国志演義』によると、諸葛孔明は不思議な技を使ったとされています。

有名な赤壁の戦いでは一種の妖術を使い、大風を起こします。

曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いで、予想に反して大勝利を得るのです。

しかし実際は妖術などを使ったわけではなく、気象に詳しかったといわれています。

風の向きがかわることをあらかじめ、予想できたのでしょう。

天下三分の計

彼の唱えた最も代表的な献策が「天下三分の計」です。

劉備が荊州と益州を領有し、劉備、曹操、孫権の3人で中国を大きく3分割するというもので、

曹操への対抗策として進言されました。

この計略は劉備の軍が天下統一を成し遂げるための可能性を示していました。

確かに「蜀呉同盟」が健在である限りは有効だったのです。

しかし呉が荊州を支配しようとして呂蒙を送り、関羽を殺したところから急速にあやしくなります。

これに基づき「天下三分の計」も、瞬時に崩壊していかざるを得ませんでした。

書き下し文

琅邪(ろうや)の諸葛亮(りょう)、襄陽の隆中に寓居す。

毎(つね)に自ら管仲・楽毅(がっき)に比す。

備、士を司馬徽(き)に訪ふ。

徽曰く、時務を識る者は俊傑に在り。

此の間自ら伏龍(ふくりょう)・鳳雛(ほうすう)有り。

諸葛孔明・龐(ほう)士元なり、と。

徐庶も亦(また)備に謂って曰く、諸葛孔明は臥(が)龍なり、と。

備三たび往(ゆ)きて乃ち亮を見るを得、策を問ふ。

亮曰く、操、百萬の衆を擁し、天子を挟んで諸侯に令す。

此れ誠に興に鉾を争う可からず。

孫権、江東に拠有し、国険にして民附(つ)く。

興に援を為す可(べ)くして、図(はかる)る可からず。

荊(けい)州は武を用ふるの国、益州は険塞にして、沃野千里。天府の土なり。

若し荊・益を跨有(こゆう)し、其の巌阻(がんそ)を保ち、

天下変有らば、荊州の軍は苑(えん)・洛(らく)に向ひ、

益州の衆は秦川に出でば、誰か箪食壺漿(たんしこしょう)して、

以って将軍を迎へざらんや、と。

備曰く、善し、と。

亮と情好日に密なり。曰く、

孤の孔明有るは、猶魚の水有るがごとし、と。

注 

伏龍(ふくりょう)・鳳雛(ほうすう) 淵に潜んでいる竜と鳳凰のヒナのこと。

箪食壺漿(たんしこしょう) 竹の器に飯を盛り、壺に飲み物を入れること。

現代語訳

琅邪の諸葛亮は、襄陽の隆中山に仮住まいをしていました。

いつも自分を管仲や燕の楽毅になぞらえて気負っていたのです。

ある日、備が当代のすぐれた人物を司馬徽に尋ねました。

すると徽は

「時局に応ずる仕事を知って、これを処理し得る者は、よほどの大人物でなければなりません。

このあたりに自然と伏龍・鳳雛ともいうべき大人物が2人います。

それは諸葛孔明と龐士元とである」と言ったのです。

徐庶もまた劉備に、「諸葛孔明は臥龍である。起てば必ず世を驚かす偉業をなすであろう」と言いました。

そこで劉備は三たび足を運んでやっと亮に合うことができ、漢室復興の計を問うたのです

亮は、「曹操は百万の軍勢をかかえ、天子を奉じて諸侯に号令を下しています。

この勢いでは操と兵を交えてはいけません。

孫権は江東に土地をかまえて、国は険しく、人民が良くなついていますから、

同盟を結んで共に助け合うのはかまわないのですが、その国を征服しようと図ってはだめです。

荊州は兵を動かすのには便利な国で、益州は天険をもって四方を取り囲まれ、

沃野は千里も広々と続き、実に天然の宝庫ともいうべき土地です。

将軍がもしこの荊州と益州を併せて領有され、その要害を保ち、天下に変事あった時は、

荊州の軍隊は苑・洛の両地に向かい、益州の軍隊は秦川の地方に打って出るようになさったならば、

天下の人民は誰だって飲食物を用意して将軍をお迎えするに違いありません」

と申し上げました。

劉備は「よい計だ」と大変に喜びました。

このようにして亮との交情が日ましに親密を加えていったのです。

劉備は、「自分にとって孔明がいるのは、あたかも魚に水があるようなものである」といいました。

三国志演義

土地の名前がたくさん出てくるので、すぐに全てを理解するのは難しいかもしれませんね。

『三国志』は日本でも大変に人気のある作品です。

とくに『三国志演義』をもとに、多くの作家が小説にしています。

吉川英治、宮城谷昌光、北方謙三、三好徹、柴田錬三郎、陳 舜臣の作品が特に有名です。

誰の小説でも、すぐ作中の人物に感情移入ができます。

どうしても文章が読みたくないという人のためには、コミックスもあります。

有名な横山光輝の『三国志』がそれです。

全部で60巻もあるので、少しずつ読み進めることをお勧めします。

後半の部分では、劉備が亡くなり、孔明が南蛮の国々を治めるためにどれほど苦労したかというところまで描かれています。

大変、正確で見事なストーリー展開になっているのです。

登場人物たちの描写もすばらしいです。

ぜひ、お勧めしたいです。

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中国という国の成り立ちが少し、みえてきますよ。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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