疑似科学入門
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
科学の根本は疑うことです。
あなたは自分の先入観とつねに戦えますか。
人間には厄介な性質があります。
それは一度認知をすると、自分に都合のいい事象を追いかけがちだということなのです。
本人は客観的に認識しているつもりでも、そこに思い込みが反映します。
いわゆる「バイアス」と呼ばれるものです。
科学はあらゆるバイアスを排除しなければ成立しません。
誰が実験しても同じ現象にならなければ、法則や定理にはならないのです。
自分の考えをつねに疑うということは、それほど易しいことではありません。
学問はつねに疑問から始まります。
しかしどうしても過去の認識や記憶に引きずられがちですね。
つねに新しい知見に対する備えをしておかなくてはいけません。
それができない人は、学問をするに値しない人ということになるのです。
宇宙物理学者、池内了氏の文章には誰でもが陥りやすいバイアスが、みごとに示してあります。
人間はどうしても自分の先入観を類推で補い、ミスがないと思い込みます。
あるいは偶然を必然だと信じるのです。
さらに説明しきれなくなると、自分が経験している事実は超常現象だと勝手に信じこんでしまうのです。
オウム真理教の事件を覚えていますか。
日本中を騒がしたカルト宗教です。
あの教団の怖ろしさは、毒薬サリンの製造に関わっただけではありません。
優秀な頭脳をもった人たちが、いくつかの現象を科学を超えたものと、認識してしまい、実行にうつしたことです。
教祖への絶対的信仰があらゆる犯罪に手を伸ばしました。
常識の判断を超えた人間の行きつく先が描いた構図です。
認知のエラー
認知のエラーは人間の生存にとって、必ずしもマイナスではないのかもしれません。
しかし多くの場合、害悪になることが多いというのも事実なのです。
人間は保守的な生物です。
どうしても疑うことが面倒と感じる傾向が強いです。
逆にいえば、少し冷静になれば理解できることも、自分の予期が前面に出すぎて、正しい判断を滞らせるということもあります。
小論文ではあまりに自分の体験を信じすぎるなとよく言います。
それはなぜかといえば、まさにこの点にあるのです。
あなたの経験はあくまでもあなたの身に起こったことであり、それが全ての人に通用するワケではないのです。
つまり個人の特殊な体験に過ぎません。
1つだけ例をあげます。
たまたまある薬を飲み、病気が治ったとしましょう。
しかしそれがだれにでも効くものなのかどうかは、実験を重ねなければわかりません。
パラシーボ効果の結果だったということも考えられます。
治験の結果、多くの人に似た効能が認められてはじめて、承認が得られるのです。
そういう意味で、あらゆるシーンを疑うことがいかに大切なのかということがよく理解できるのではないでしょうか。
刑事事件の解明などにおいても、先入観が捜査を邪魔してしまうということがよくありますね。
予期することは大切ですが、それが過ぎると誤った結論を導き出しがちです。
ここに掲載する文章は、ある大学の国語の試験として出題されたものです。
その前半部分をここに取り上げました。
これを読み、800字程度の小論文を書けという設問がでたら、あなたはどう解答しますか。
難しいとは思いますが、ぜひチャレンジしてみてください。
課題文
人間は知覚、記憶、思考の組み合わせの結果として、ある種の判断を下すのだが、
その一連の認知行為の中で各過程のエラーが積み重なり、強め合って知らぬ間に判断エラーをしてしまうことになる。
人はある事象を見たとき、必ず何らかの信念
(例えば、B型の血液の人間は二面性がある)を持ち、その信念に沿って
「こんなことが起こるだろう」と予期し(彼はB型だから矛盾した行動をとるだろう)、
結果を見た時予期に合致するよう選択的に解釈しようとする傾向がある
(矛盾した行動のみを記憶する)。
その結果、予期していた通りのことが起こったとしか見ないから信念がいっそう強められる。
つまり、信念、予期、予期を強化するよう結果を解釈、
いっそう強い信念となるの順に、プラスのフィートバックが働き、ますます頑固に信じるようになるのだ。
この場合、「こんなことが起こるだろう」と予期する段階において
「こんなことは起こりえないだろう」とはいっさい思わず、
また結果を見たとき、予期に反する事実は無視してしまう傾向がある。
また、予期に沿った情報は記憶しやすいが反証となる情報には注意がいかないこともある。
例えば、女性ドライバーは運転が下手だという信念の持ち主は、
そのような目で常にドライバーを見ており、実際に下手な女性ドライバーを目撃すると、信念をいっそう強める。
運転が上手な女性ドライバーがもっと多くいても、記憶に残らず無視してしまうのだ。
このプラスのフィードバックによって、予期が結果を決めるだけでなく、
予期したことが実現してしまうという逆転した状況も生まれかねない。
できの悪い子
先生が「この子はできが悪い」と思い込むとどのような行動も、できの悪さに結びつける。
そのため、ますます出来が悪いという解釈が積み重なり、
(せっかく本人が努力していても目に入らず)結局その子供は「落ちこぼれ」になってしまう。
この場合、先生の予期が原因となった落ちこぼれだから、実は「落ちこぼし」なのである。
もう1つの判断エラーは、サンプルの数が多いと平均的な値に近づくが、
サンプルの数が少ないと平均からのズレが大きいのが普通であるのに、
それがあたかも平均であるかのように誤認してしまうというケースである。
「あの医者は名医だ」という噂があり、事実多くの患者がそういう場合は信用できる。
ところが「あの医者にかかると女の子が多く生まれる」という噂となると怪しいのだ。
小論解答例文
どのような文章を書いたらいいのでしょうか。
論じていることに正面から反論することは難しいですね。
こういう場合は筆者のあとからついていって、説明不足の点を補うという方法をとればいいのです。
あるいは課題文に対して、質問を投げかけるということも可能です。
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偶然性を拒否したい心理は私にもある。
しかし認知エラーをしがちなのが人間なのだ。
とすれば、つねに自分の認識が誤りを犯すことがある可能性に敏感でなければならない。
サンプルの少なさから勝手な結論を出すこともある。
予期が強すぎて、判断のエラーを繰り返す不安もある。
私には自分の体験を絶対化する弱点がある。
今までに何度もこれで失敗をしてきた。
偏見に満ちた理解をしたことも数多い。
国際理解を口にしながら、人種に対する考え方を簡単に変えられないという事実を否定することができなかったのである。
例えば、中国人、韓国人をバイアスのかかった見方で認識していたことが多くあった。
反省もこめて、今も不愉快な記憶だ。
悲しいが、それが現実なのである。
これから大学に入り、さらに勉学を続けるなかで、少しでもその誤りを正していきたい。
これは生き方の問題にもつながる。
自然科学だけが科学なのではない。
人文も社会もそれぞれが科学なのである。
学びを続ける中で、自己を磨く以外に最良の方法はないであろう。
つねに自分自身でバイアスへの傾きを修正し、より正確で堅実な科学の方向へ進むという気概を持たなくてはならない。
そのためにかける時間は貴重である。
それが学問を自分のものとして獲得していく作業に違いない。
筆者の論点を読み返すだけで、多くの反省点が蘇ってきた。
少しでも自分が自由でないと感じたときは、すでに傾いている時なのだ。
心して進まなければなるまい。
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ポイントはここから筆者の論点に少し足して自分の考えを示せばいいのです。
あなたに書けそうですか。
ぜひ試みてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。