『つかこうへい正伝』ⅠⅡを続けて読んでます。
あわせて1200ページ。
厚い本だ。
中身もめちゃくちゃに熱い。
こんなに活字の底までもぐりこむのは久しぶりかな。
完全に酔っちゃった。
人たらしですよ。
つかこうへいは。
あの時代のつかこうへいを知っていることが、すなおに嬉しいね。
後半の疲れきったつかじゃないです。
紀伊国屋ホールで「熱海殺人事件」を演出した頃のあの舞台をつくったつかです。
時代だったのかな。
すごい熱だった。
1976年からの数年間。
400人足らずのあのホールに何人入ったか。
動けなかった。
平田満、風間杜夫、石丸健二郎、根岸季衣、三浦洋一、加藤健一の面々。
あんなにインスパイアーされた舞台は後にも先にもあれだけだ。
震えたね。
あれから芝居は飽きるほどたくさん見ました。
本当に見たよ。
でも、あんなに慇懃で失礼で無様な舞台はあれ以降ありません。
「熱海」だって言われてあちこちでいろんな劇団のまで見た。
でも身体がしびれたのはあの時だけ。
後半、バージョンがかわるたびに見るのがつらくなった。
つかはつらくなると、すぐ母子の愛情に逃げる。
幕末純情伝とか、蒲田行進曲とか、飛龍伝とか。
それはないよと思った。
芝居なんて、所詮その時だけのものです。
観客の熱と舞台の熱が重なったわずかな時代にしか、達成できない悲しさがある。
どこにでもあるありふれた殺人事件を、崇高なまでに輝かせるため、言葉と音楽が鳴りひびいた。
大音響でホールを震わせた白鳥の湖、チャイコフスキーのピアノ協奏曲。
嗜虐的な言葉の渦が心地よかったな。
こっちも若かったから。
それもある。
なんにも知らなかった。
それもある。
いま考えれば、いちばんいい時代だった。
もうないですよ。
疲れ切ってますからね、今や世界は。
芝居なんてやる気分じゃない。
分厚い本を舌なめずりしながら読んでます。
終わるのはいやだ。
著者の長谷川康夫はもうこれっきりだと呟いてます。
つかさんのことはもう何も書かないそうです。
そうだろうな。
もう書けないよ。