「世界をつくり替えるために」自分を作るタネは世界とのズレを意識すること

小論文

世界とのズレ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は少しだけ教養のあり方についての文章を読みましょう。

「論理国語」の教科書に所収されている、哲学者・小林康夫氏のエッセイです。

主題は高校生として、これから学習を続けていくうえでの心構えについて示したものです。

多くの人は、青年期に入ると、自分と世界の関係がぴったりと感じられない宿命的なズレを感じ始めます。

この世界にいることが、とても不思議で奇妙なことに思えてくることがあるのです。

しかし、この感覚こそが学ぶことの根拠に触れている証しだと筆者は言います。

実はそのことに気づくことから、未来の成長が約束されるといってもいいというのが論点の主旨です。

このズレが「タネ」を生み出す起点そのものなのです。

それを見つめ続けようというのが彼の考えです。

ではどうしてズレを感じるのでしょうか。

理由はいくかあります。

ポイントは人間が言葉を使うからです。

誰もが、世界と自分をはっきりと分けて認識しようとします。

しかし完全に混沌とした世界を自分の言葉で把握することはできません。

そこには必ず余白が生まれます。

というより、あまりにテクノロジーが進みすぎ、世界がブラックボックス化してしまいました。

現代において、人間が行っている世界のつくり替えは、あまりにも高度で複雑です。

生まれてから成長期を通じ、自然の営みを学び続けたとしても、それで十分なわけではありません。

学校の持つ役割

そこで次の段階として、学校を通じ学びを続けなければならないのです。

好きだから、嫌いだからなどいっている場合ではありません。

頭脳をフルに回転させ、問題を解決する以前に、何が課題なのかを自ら発見しなくてはならない段階に入るのです。

つまり世界を自分の認識で再構築するということです。

時には孤独を感じることもあるでしょう。

しかし学ぶことは後にすばらしい友人と出会う機会にもつながります。

そのためには、一人きりでの沈思黙考を積み重ねなければなりません。

学ぶというのは必ずしも正解を知ることだけではないのです。

「覚える」ことでもない。

自分の世界を自分の力でつくり替えることを意味します。

認識のプロセスについて筆者の論点の導入部分を読んでみましょう。

疑問を重ねることの意義がよく理解できるはずです。

本文

鳥は、本当に自由なのだろうか。

私はそうではないと思う。

鳥はいわば空の中に閉じ込められている。

魚も同様で、水の中に閉じ込められている。

鳥は空を「空」と呼ばず、魚も水を「水」と名付けることはない。

人間がするようには自分の住む世界を対象として捉えることがないからだ。

人間は言葉を用い、空を「空」と呼び、海を「海」と名付けた。

いわば世界と自分をはっきり分けて認識している。

その意味で人間は、世界に閉じ込められてはいない。

言い換えれば人間は、鳥や魚と同じような意味では「自然=世界」の中に生きていない。

恐らくこのことが、人間、とりわけ若い皆さんが世界と自分との間にズレを感じる理由だ。

重要なことは、このズレがあるからこそ、人間はほかの動物のように自足することができず、自分が生きる世界を絶えずつくり替えていかなければならないということ。

例えば、森を切り開き、田畑をつくる。

これこそ人間だけが持っている自由であり、人間が自由であるあかしなのだが、見方を変えれば、その自由に閉じ込められているとも言えなくはない。(中略)

世界の中で生きていることに対する違和感。

そして世界と自分との間に感じられる越えがたいズレ。

その中に全ての「種」が詰まっている。

考えぬき、心の中に「種」を宿しておくことが今はとても大切だ。

何かを学んでいこうとする時、「好き」という感覚ほど強い味方はない。

一方、「嫌い」という感覚は、学びにブレーキをかける。

好きなことはいくらでもできるが、嫌いなことはやりたくない。(中略)

しかし、内面で湧きおこる好きや嫌いは、大切にしなければならない。

それが人生をつくっていくのだから、だが何かを本当に学ぶためには、好き嫌いの感覚を、さしあたり停止して、どうして好きなのか、どうして嫌いなのかを考えてみてほしい。(中略)

学ぶためのもう一つのポイントは、全体を見ること。

それと同時にどこか一点を見なければならない。

全体だけを見ていても絶対に自分のものにはならない。(中略)

この学びは、単に知識を蓄えることではなく、その特異点をつかんで、全体をもう一回つくりなおす。

これは自分の世界を自分でつくり直していく力でもある。

自分にとってのタネとは

この文章を読んで、次のような設問を設定してみました。

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心の中に種をやどしておくことが今はとても大切だとあるが、自分にとっての種とはなんであるか。

その種から何が花開くのかを考え、具体的な内容を示しつつ、800字以内でまとめなさい。

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難しいでしょうか。

ほとんどの小論文の設問には、具体的に書けという表現が付随しています。

採点者は受験生の資質をみるため、興味や関心のありかを常に探っているのです。

そこに可能性が宿っているからです。

伸びしろといってもいいかもしれません。

それだけに具体性を捨ててしまうと、かなり評価が下がることは間違いありません。

十分に注意して下さい。

この設問のポイントは何かに対するズレを感じた時、それがどこから来るものなのかを明確にすることです。

そのための手段として学校があるという筆者の論点を見逃してはいけません。

しかしそこに過大な期待をしてはいけないのです。

なぜなら今日の問題は、ほとんど解決不能なものばかりだからです。

学校が常に解答を教えてくれるわけではありません。

しかしひとつの現象をさまざまな角度から検証するための方法は学べます。

あらゆる学問が、光源となってプリズムのように光を届けてくれるに違いないのです。

それをどう認識するのかは、個人の力によります。

当然、語彙力、想像力、分析力が必要になるでしょう。

知らないことを知るためには語学力もなくてはなりません。

「ズレ」を読み取るための鋭敏な感覚が磨かれていなければ、目の前の「種」はそのまま枯れ果ててしまいます。

このズレはいつ感じるのか。

頭脳が柔らかく感受性が豊かなうちに、体験を重ねていけば広がりが得られるというのが、筆者の論点です。

そこに青年期の持つ特徴があるのです。

あなたは何を知りたいのか。

何が喫緊のテーマなのか。

それが全くないということでは、この設問に答えることはできないでしょう。

具体性を示すことは不可能です。

好きか、嫌いかで判断しない深さを存分に示してください。

それがここでの約束事です。

ぜひ、このテーマを考えながら、制限字数以内にまとめてみてください。

期待しています。

今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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