テーマ型小論文は難しい
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はテーマ型小論文についての話を取り上げます。
近年はこのタイプの問題は極端に少なくなりました。
圧倒的に課題文型の出題が多いのです。
それだけに数行程度の設問が設定されている場合、難しさが先に立ちます。
何となく書けそうな内容であればなおさらのこと、自分の周囲に起こったことなどでまとめてしまいがちです。
そこがある意味、このタイプの問題の難しいところです。
課題文型の場合はたくさんのヒントが問題文の中にあります。
しかしテーマ型の場合は言い切りなのです。
それだけにどの内容で主題をまとめるのかということに、神経を使わなければなりません。
課題文がない問題は本当に難しいです。
これは実際に書き出してみるとよくわかります。
曖昧な状態で書き始めると、間違いなく普通の作文になってしまいます。
これでは低い評価しか得られません。
小論文とは明らかに違います。
どこが違うのか。
作文は自分の身に起こったことをただ書けばいいのです。
感想や思い出をまとめればそれらしい恰好になります。
しかし小論文は明らかに違います。
問題意識が文中にないものは、論文になりません。
現代社会の中で特筆されるべきテーマと重なる部分を示しながら、第三者の目を交えて客観的に論じなければなりません。
一見すると、なんとなく書けそうな気もしますが、やってみると実に難しいのです。
設問
問題文をここに掲載します。
あなたなら、どこから書き始めますか。
読んでみてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
テレビの番組を始めとして、近年「感動」という言葉がよく使われます。
実際、障害のある人を主人公としたテレビドラマなどをみて、感動した人も多くいることでしょう。
ものごとに感動することは、主観的には素晴らしい体験ですが、その一方「感動するのはとても良いことだ」と単純に言い切ってしまってよいのでしょうか。
「感動すること」のプラス面とマイナス面について、あなたが実際に体験したことや日常感じたことなどから、具体例をあげて800字で論じなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
これが問題の全てです。
さて、どこから書きますか。
最初に今回のキーワードを探ってみましょう。
ズバリ、「感動」ですね。
設問は、感動することはいいことなのか、と正面から切り込んできています。
ここですぐに思いつくことは、あなたが感動した経験は何だったのかということです。
具体的にまとめられますね。
テレビドラマ、障害者などの例が示されています。
そこからイメージはすぐに広がるはずです。
多くの人にとって、感動することがいいか、悪いかなどと考えたことがないというのが正直なところでしょう。
となると、感動イコール良いことのラインで、過去の体験や見聞などに走ってしまいがちです。
なぜこの問いなのか
大切なのは、なぜこのような設問が用意されたのだろうということです。
昨今は「涙活」などという言葉もある通り、多くの人が感動したがっています。
「泣ける』映画やドラマをみたいという人も多いのです。
あなたがその中に一緒に飛び込んでしまったのでは、小論文になりません。
なぜこんなテーマが設定されたのか。
その背景にはなにがあるのか。
文章をまとめるなあたって、現代の問題をそこから抜き出すのです。
第1に、「感動」が金銭に換算される社会の断面をまずおさえることです。
感動するために人は同じユニフォームを着て、遠い場所にまで移動までしたりします。
大リーグの観戦ツァーなども、そのいい例です。
当然、経済効果は莫大なものになるはずです。
それと同時に圧倒的な感動は人の情動を左右します。
かつてのナチズムを想起すれば、容易に理解できるでしょう。
1つの民族意識が国家の目標となり、個人感覚を完全に麻痺させます。
そこからはじかれた人間は、逆に個として完全にパージされる可能性もあるのです。
もちろん、設問にある「障害者」という「負」の事実にも、きちんと目を向けなければなりません。
しかし、可愛そうな人、助けてあげなければならない人という視点で捉えただけでは、根本的な解決にはなりません。
ここではこの話題にはむしろ触れない方が得策です。
自分なりのオリジナリティを出す工夫をした方が、より評価は高くなるものと思われます。
あるいはもっといえば、泣ける自分を喜んで受け入れようとする自我の怖さも、同時に直視しなければならないはずです。
IT化と効率優先
多くの人間がIT化され、効率重視の社会の中で、人々は心を閉ざす暮らしをしています。
かつてのようなコミュニティが崩壊し、自然との触れ合いも十分ではありません。
そうした環境の中で、人は無理にでも自分を感動させようとしているのです。
そうでなければ「生」の実感を得にくいからです。
こうしてみていくと、この問題の趣旨は感動することがいいことか、悪いことかというレベルではないですね。
もっと複雑な内容がふくまれていると、はっきりわかるはずです。
人はどういう時、真に感動するのか。
他者との一体感をきちんと把握し、自分のものにできる人間だけが、真に感動を自分のものにできるという視点も大切です。
全体の構成の中で具体例に少し触れる必要があります。
何を感動の材料にしたらいいのか。
動物との触れ合いや、家族内でのできごと、友人との関係、スポーツや芸術との触れ合いなど、考え始めれば、いくつもの例が出てくるはずです。
そのうちのいくつかを、ごく短かくまとめる手法も同時に学ばなければなりません。
いい気になって文章を綴ってしまったのでは、高い評価は得られないのです。
大切なことは、感動の意味です。
感動はけっして娯楽ではありません。
自分だけがいい気持になって、次々と消費されていくものではないはずです。
感動が十分でなければ、当然、その反対側には不満足がたまるはずです。
それが効率優先時代の内側でしょう。
本来は許されないはずのない「消費」される感動だけが独り歩きしないように自己を厳しく律しなければなりません。
感動は心がふるえ、共鳴することを意味します。
それだけの質の高い内容を孕んでいるかどうかの自己検証も、同時に大切なのです。
さっそく、このテーマで文章を書いてみてください。
一見、書きやすそうな設問ですが、まとめるのは至難です。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。