「サステナビリティの主語は誰なのか」私と私たちでは全く境界の意識が違う

小論文

誰のためのサステナビリティか

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は毎年、小論文の試験に出題される「SDGs」の根幹を見直しましょう。

近年、実によく聞く言葉ですね。

まさか知らない人はいないでしょう。

新聞にこの表現が載っていない日はありません。

意味はご存知ですか。

これは英語の文章の頭文字をとったものです。

小論文を書くときの必須単語です。

必ず覚えておいてください。

SDGsとは「Sustainable Development Goals」の略です。

直訳すると「持続可能な開発目標」となります。

キーワードは「接続可能な」を意味する「Sustainable」にあります。

音楽をやっている人は「サステイン」という表現を耳にしたことがあるはずです。

1つの音を伸ばすことを意味します。

それに「可能」という意味の「able」をつけて「Sustainable」という形容詞にしました。

今や、世界が目標にしている喫緊の共通目標です。

2015年の国連サミットにおいて全ての加盟国が合意した「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の中で掲げられたものです。

内容は2030年を達成年限とし、17の目標と169のターゲットから構成されています。

その内容についてはこのサイトにもかなり書き込みました。

リンクしておきますので、読み込んでください。

17の目標のどれが出題されても、必ず解答できるようにしておかなくてはいけません。

ここで問題なのが、目標の中で使われている表現です。

「サステナビリティ」という言葉を使うことは、誰でもがします。

しかしその時、主語に「私」か「私たち」を使うことの意味の差がわかりますか。

かなり内容の範囲が違ってしまうのです。

主張の意味合いが明らかにかわってきます。

SDGs第1の目標

SDGsに17の目標があることは、先ほど書きました。

その最初にあるのは何か。

1番大きなテーマです。

それが「貧困」なのです。

目標は「地球上のあらゆる形の貧困をなくそう」です。

世界では、6人に1人(3億3,350万人)の子どもたちが、「極度にまずしい」暮らしをしています。

国際貧困ラインは2022年9月、2.15米ドル(約300円)に見直されました。

2030年までに、それぞれの国の基準でいろいろな面で「貧しい」とされる男性、女性、子どもの割合を少なくとも半分減らすというのが目標です。

具体的には次の通りです。

①すべての人が、平等に、生活に欠かせない基礎的サービスを使えて、土地や財産の所有や利用ができ、新しい技術や金融サービスなどを使えるようにする。

②貧しい人たちや特に弱い立場の人たちが、自然災害や経済ショックなどの被害にあうことをなるべく減らし、被害にあっても生活をたて直せるような力をつける。

③それぞれの国や世界で、貧しい人たちのことや男女の違いなどをよく考えて政策をつくり、「貧しさ」をなくすためのとりくみにもっと資金などを増やして取り組めるようにする。

この3つの項目を実現するためのリミットは2030年です。

あと5年半しかありません。

可能なのでしょうか。

さらに、この中にある表現で「貧しい人たちや特に弱い立場の人たち」と示してあるのは誰のことをさしているのか。

それが今回のテーマなのです。

「私」ですか、「私たち」ですか。

それとも世界の中で貧しい6人に1人の人のことですか。

ここにこの問題の難しさがあります。

想像力の及ばないところにまで、アジェンダの実質を広げていくのには、よほどの力技がなければなりません。

アフリカで見たもの

ぼく自身、かつて国際理解教育に携わっていたことがあります。

アフリカのザンビアにもJICAの活動を見るため、2週間ほど出かけました。

実際に青年海外協力隊の人が活動している高校などで、授業を見学もしました。

さらにコンパウンドと呼ばれる貧民街で、体重測定の活動をしている人たちの様子もみました。

食べるものが満足にないなどという状況を簡単に理解することはできません。

1日に300円という貧困ラインを下回る生活をしている人がたくさんいました。

彼らの生活をどう引き上げるのかというのは、かなりの難問だということを実感するためには、自分の目で見る以外になかったような気がします。

電圧が一定しないところでは、通常の家電製品が使えません。

定電圧装置が必ず必要になります。

日常の生活がどのようなものであるのかを知らなければ、SDGsという言葉だけが先行する現実をどうすることもできないのです。

貧富の差の激しさや感染症、エイズなどの恐怖も常につきまといます。

もちろん、日本でも十分に食事をとれない児童がいます。

夏休みなどの間は欠食してしまうという現実もあります。

そのための無料食堂の運動なども盛んですね。

たった1つの言葉、「飢餓」を減らそうという表現をとってみてもその内実は複雑です。

ここでは「私」と「私たち」という2つの主語を使うことの意味を少し論じてみたいのです。

「私」といったときは、それほど飢餓に苦しんでいないのかもしれません。

多くの日本人は飢えずに生きています。

もちろん、苦しんでいる人が存在することを忘れてはいけません。

しかし「私たち」と言ったとたん、すぐ隣に貧しい人々が大勢いることに気づきます。

その差を実感せざるを得ないのです。

サステイナビリティ学の研究者、工藤尚悟氏の文章を少し読んでみましょう。

大きなヒントがたくさんあります。

統一された主語で語る意味

サステナビリティの定義を「将来世代に守り、作りつなげていきたいことを考え、行動していくこと」にしましょう。

すると、次に考える必要があるのは、どのような主張でどのような主語でこれを語っていくのかということになります。

サステナビリティについて、一つの統一された主語で語るということには、実は大きな 難しさがあります。

それは「何をサステイナブルにするのか(何を守り、作り、つなげていくのか)」ということについて、答える時の主語を一個人の「私」にしてしまうと、

私が考えるサステイナビリティと他人(他の私)が考えるサステナビリティが、頻繁に衝突を起こしてしまうからです。

将来世代にわたって守り、作り、つなげていきたいと考える事柄について、私たちが全会一致で合意できたならば、

その実現のために必要な行動もきっとスムーズに進めていけるのでしょう。

しかし、実社会においては、そのような合意が取れるということは非常に稀なことです。(中略)

気候変動のように世界的に重要とされる課題についても、それぞれの立場からの異なる正義の押し付け合いが生じるのであれば、

やはりそうした対話の中でどのような表現を用いるのかについて、深慮する必要があります。(中略)

気候変動やSDGsに代表されるような全地球的なアジェンダについて考える時には、「地球」や「グローバル」というようなスケールがとても大きい主語が必要になります。

これらの主語を用いて語られるのは、地球的課題に全人類が協力して取り組む必要があり、そのことについて「私」という個人が適切に行動しているかどうか、

責任を果たしているかどうか、という世界観です。

ですが、こうした話は私という一個人が日々暮らしている時間や空間とはスケールがかけ離れたものでもあり、なかなか手触り感のない話です。(中略)

それではサステナビリティについて考えるとはの「主語」を「私」から「私たち」にすると何が起こるのでしょうか。

まず「私たち」が示す範囲について考えてみたいと思います。

このことが何を意味するのかというと まず「私たち」という主語は最初から複数の境界を含んでいるということです。

「私たち」と発する時にそれはその時その時の文脈によって異なる範囲の人々を示しており、その範囲の人たちが共有している価値観を参照しています。(中略)

こうした特徴を持った「私たち」という主語で、サステイナビリティを考えるということは、その時点で複数のサステナビリティがあることを受け入れ、

それらのあり方を考えるということになり、「何を守り、作り、つなげていくのか」というサステナビリティの中心的な問いに対して、

無理なく、複数の異なる回答を持つことにつながっていきます。

「持続可能」とは

何を守ればいいのか。

つくり、つなげていけばいいのか。

これは難しい問いですね。

サステナビリティ学という学問領域があることを、はじめて知りました。

全てを自分の問題として引き受けることには困難がつきまといます。

それでも考えなくてはなりません。

数学でいうところの集合論に近いものかもしれません。

どこまでを含み、どこをはずすのか。

地球温暖化の問題など、明らかに「私」のレベルではありません。

「私たち」という表現の持つ重さを実感してください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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