【書評の試み】新しい視点を発見しながら感性と論理性を育てる【光源】

学び

ビブリオバトル

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

あなたは「ビブリオバトル」という言葉を御存知ですね。

耳にしたことがないという人は、おそらくいないと思います。

それくらいポピュラーなものになりつつあるのです。

しかしその会に参加して、実際に発言したことがあるのは何人ぐらいでしょうか。

かなり限定されるかもしれませんね。

ビブリオバトルは図書運動の一環として、今から20年ほど前に始まりました。

ルールはそれほどに難しいものではありません。

基本はごく単純なものです。

➀参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。

②順番に1人5分間で本を紹介する。

③それぞれの発表の後に、参加者全員でその発表に関するディスカッションを2〜3分間行う。

④全ての発表が終了した後に、「どの本が一番読みたくなったか」を基準とした投票を参加者全員が1人1票で行い、最多票を集めた本をチャンプ本とする。

ルールはこれだけです。

自分の読んだ本がどれほど、ユニークで面白いものであったのかということを他者に知ってもらうためには、実に効果的な方法だと思います。

逆にいえば、その本に対する熱さを言葉で訴えるという作業は、より深い読み込みを必要とします。

いい加減な表現や、言葉の選択では参加者に自分の気持ちを伝えることができません。

ここではまずその前に書評と呼ばれるもの書いてみる試みについて少し考えてみましょう。

書評の試み

国語の授業でも読書感想文をよく書いてもらいました。

特に夏休みに宿題として生徒に課すという構図は、どこの学校でもみかけます。

「夏の100冊」などといった出版社とのコラボ企画としても、十分機能しています。

今までに何度、この種の宿題を出したかわかりません。

時には、文庫本の最後にある解説などを、そのまま写したようなタイプの感想文に苦労したものです。

今回はそのレベルを超えて、他者のために書評をしてみようという試みについて書きます。

これはよほど正確な表現力がないと、十分な意味を持ちえないとも言えますね。

相互に互いの文章を読むという作業をそこに付け加えた場合、さらにハードルは高いものになるかもしれません。

それだけ、文章を書く人間には強い圧力が加わるのです。

どのような作品を選ぶかも難しいです。

geralt / Pixabay

思想信条に絡むということからいえば、本を自由に選ぶというのは、厄介な話です。

効果的な方法としては、選択可能な図書を数冊に限定するという方法もあります。

生徒が最初に選んだ本の中から、書評を試みるというのも、無理のない形です。

あるいは教師がそこに意図的に数冊の本を混ぜておくこともできますね。

ここで作家、堀江敏幸が川上弘美の短編集『神様』を論じた書評をサンプルに取り上げます。

この2人の作家を知っていますか。

少し調べてみてください。

堀江は、けっして声高ではないものの、彼女の小説が持っている作品の味わいを実に見事に描き出しています。

作家が小説を読む時の視線がどこにあるのかということを、じっくり観察してみてください。

『神様』は多くの教科書に所収されています。

ぜひ、一読してからもこの書評を読んでください。

このサイトにも関連の記事があります。

リンクを貼っておきましょう。

本文

川上弘美の語り手が、周囲の人々と、いや人々ではなくむしろ「存在」たちと結ぶコミュニケーションの形態はいつも恋に似ている。

とはいえそれがただの疑似恋愛であれば、こんなにも軽やかで切ない空気は流れないだろう。

作者が目を凝らし、ときには息をつめ、それでいて外からは肩の力をきれいに抜いているようにしか見えない呼吸をつむぎながら描き出すのは、

当たり前のように遭遇した「存在」たちとの精髄だけの恋なのであり、多少大袈裟にいえば、刹那的にしかありえない命の手触りである。(中略)

ここにはあからさまな恋の台詞もない。

まさしく神様のみに許された高雅な差配があって、登場人物たちはみな、その透明な指図を素直に実践しているだけなのだ。

強い気持ちで相手を所有しようとしないから、彼らは至近距離まで心が通っても最終的な合一など願いはしないし、離別に際しても自分を見失って泣き崩れたりしない。

たとえば「神様」で、語り手「わたし」のマンションの三軒隣に越してきた雄のくま。

図体に似合わず昔気質の細やかな気遣いを見せるこのくまは、べつだん姿を変えるわけでもなく、人間界でごく普通に生活を営んでいる。

「わたし」はこの大きなくまに誘われてハイキングに出かけ、楽しい一日を過ごしたあと、自宅の前で、やはりくまの申し出を受け入れて抱擁を交わす。

川上弘美を電脳ネットの文学賞から活字の世界に送り出したのは、おそらくこの恥ずかしげでぎこちない、けれども人間同士の抱擁などよりずっとあたたかな、それこそ「熊の神様のお恵み」を信じるのがごく自然のことのように思えてくる情感を掴む筆力だろう。

作品のカギ

この小説は9編の短い話で構成されています。

書評のポイントは何かといったら、タイトルに頼ってみるのもいい方法かもしれません。

『今はもうないものの光』という題がついています。

堀江敏幸は、この小説を通じて既に存在しないものの中に、一条の光を見出そうとしたのでしょう

人間はあたりまえのように存在している命と出会い、やがて別れていきます。

しかしその時に出会った恋の心が、どうしても忘れられず、再び恋焦がれるものなのです。

ところがそれは存在しません。

そこに残っているのは手触りとでも呼ぶしかない、微かな感触です。

そのあえかな光を追い求めながら、後を追いかけようとしたに違いないのです。

『神様』の連作の最後にふたたびくまを主人公にした「草上の昼食」という短編が登場します。

郷里に帰る決意を固めたくまは、別れのピクニックに主人公を誘い、そこで落雷に襲われます。

危険な傘を投げ出してわたしを抱えるように地面にしゃがみ込むのです。

身体につたわる温かみとしめりけに、生きているものの実感が染み込んでいきます。

この感覚は貴重です。

川上弘美という作家の感性の鋭さを感じた瞬間ではないでしょうか。

構想メモから始める

書評は自分の考えが読者に伝わるように、構成や表現を考えることが大切です。

字数は600字~800字くらいが適当です。

何を主題にするのか。

あらすじなどをいくら書いても読者のこころを捉えることはできません。

自分が何を感じたのかを素直に表現していくことです。

ただしどこに感動したのかなどと詳しく書く必要はありません。

書評は感想文とは明らかに違います。

自分が第三者的な立場にたって、冷静なポイントを指摘する目をもっていることを示す必要があるのです。

この小説のカギはどこにあるのか。

「神様」でいえば、書評者、堀江敏幸の目は今はないものの光を追うところから始まりました。

書評の成否はキーワードを探り、そこを光源とすることが前提です。

その光と影をうまく繋ぎ合わせていけば、1つの世界がみえてくるはずなのです。

それが他者にはない視界であればあるほど、読者にとって魅力のあるものになります。

もちろん、いろいろな形があっていいはずです。

ぜひ、試みてください。

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正確な言葉の使い方に十分注意することです。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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