公私相背
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回も漢文を取りあげます。
題材は『韓非子』です。
高校の漢文選択授業などで学びます。
漢文は確かに難しいですが、読めるようになると、文の対比が明確であるために、かえって理論的で理解しやすいのです。
論点を整理しながら読むことを覚えてください。
語法をある程度学ぶと、論理がストレートにわかるようになります。
学んでおけば、視野がぐっと拡がるのを感じます。
今回、取り扱う韓非子は法家(ほうか)の代表です。
法家は中国戦国時代の諸子百家の1つです。
「徳目」で国を治めようとする儒教の徳治主義とは異なり、法による政治のシステムを説きました。
このサイトでも韓非子の「侵官之害」を扱っています。
リンクを貼っておきますので、時間のある時に読んでみてください。
記事中にある「越権行為」とは臣下が良かれと思ってやった行為であっても、それが職務上の権限を越えたものであるなら、処罰しなければならないという法の支配の法則を述べたものです。
なぜ韓非子はそうした考えを持つようになったのか。
彼は公の利益と私の利益の対立について考えました。
1つの行動に対する評価は、考え方や立場の違いにより、大きく異なってしまうものなのです。
なぜそうなるのでしょうか。
これは大変に複雑で難しい問題です。
公のためには良いことでも、個人にとってはそれほどの意味を持たないこともあります。
反対に個人にとっては最良のことが、公の利益には全くならないこともあります。
両者ともにウィンウィンの関係になるということは、そう簡単に実現しないのです。
ここでは韓非子の代表的な考え方を紹介します。
公私にとって最良の方向を選ぶのは難しいというのが、よくわかります。
本文
楚人に直躬(ちょくきゅう)といふもの有り。
其の父羊を窃(ぬす)み、而(しか)して之を吏に謁(つ)ぐ。
令尹(いん)曰はく、
「之を殺せ。」と。
以為(おもへ)へらく、
「君に直なれども、父に曲なり。」と。
執(とら)へて之を罪せり。
是を以て是を観るに、夫の君の直臣は、父の暴子なり。
魯人(ろひと)君に従ひて戦ひ、三たび戦ひて三たび北(に)ぐ。
仲尼(ちゅうじ)其の故を問ふ。
対(こた)へて曰はく、
「吾に老父有り、身死せば之を養うもの莫(な)きなり。」と。
仲尼以て孝と為し、挙げて之を上(のぼ)せり。
是を以て之を観るに、夫の父の孝子は、君の背臣なり。
故に令尹誅(ちゅう)して楚の姦(かん)上聞せられず、仲尼賞して魯の民降北を易(かろ)んず。
上下の利、是(か)くのごとく其れ異なるなり。
而るに人主兼ねて匹夫の行ひを挙げて、
而も社稷(しゃしょく)の福を致さんことを求むるも、必ず幾(き)せられざらん。
昔者(むかし)蒼頡(さうけつ)の書を作るや、自ら環(めぐ)らす者之を私と謂ひ、私に背く之を公と謂ふ。
公私の相ひ背くや、乃ち蒼頡固(もと)より以(すで)に之を知る。
今以て利を同じくすと為すは、察せざるの患(うれ)ひなり。
現代語訳
楚の人で正直者の躬という者がいました。
彼の父親が羊を盗んだ時、役人にそのことを告げたのです。
楚の宰相は、「この者を殺せ」と命じました。
その理由は、「君主には忠実だが、父に対して不孝であるから」だというのです。
そこで、躬を捕えて死刑に処しました。
君主に正直な家臣は、父にとっては暴逆の子だという考えからです。
魯のある人が君主に従って戦に行き、3回戦って3回とも逃げました。
仲尼(孔子)がその理由を質問しました。
すると、「私には老いた父がおります、私が死ぬと父を養う者がおりません。
だから逃げたのです」と答えたのです。
孔子はこの男は君主に対しては不誠実であるが親に対しては孝行なので、推挙して昇進させました。
父に孝行な子は、君主に背く家臣という考えによるのです。
こうして楚の国では宰相が躬を誅殺したために、悪事や姦計を報告するものがいなくなりました。
しかし魯の国では、孔子が逃げたものを賞したために、魯の民はかんたんに降伏したり逃げるようになったのです。
上の者と下の者の利益はこのように、異なっているのです。
それなのに、君主がつまらない人間の行いを広く採り挙げて、それによって国家の幸福を求めようとしても、とても実現不可能だということになります。
(注)「社稷」 朝廷または国家のこと。
公私は常に対立するのか
「公」とは何でしょうか
ある問題が個々人のエゴや打算ではなく、より多くの人に関係する場合です。
では「私」はどうでしょう。
他者を顧みず、時にルールや規範を破ってまで自己の利益を追求する姿勢です。
日常的な感覚でいえば、「公」と「私」は対立する傾向が強いようですね。
しかしそう単純に論じることもできません。
たとえば、ゴミ焼却場の建設について考えてみましょう。
年々、増加するゴミを焼却するため、都市部に大規模な焼却炉を建設する計画があるとしましょう。
この考え方は「公」そのものです。
しかしほぼ同時に反対運動が起こることも予想されます。
自分の住んでいる土地の環境を焼却炉で、悪化させたくないとする論点から始まるものです。
この時、推進側から見れば、反対運動を繰り広げる地域住民は、地域エゴを振りかざしている「私」の存在に見えます。
しかし住民の側からみると、建設計画は「公」の立場を越え、政治家と業者の癒着という「私利私欲」の結果と写らないこともありません。
公私は単純に割り切れないことが多いのです。
それぞれの状況によって、「公私」の区別は変化します。
日本では、「公」のために「私」を犠牲にすべきだというのが、従来の基本的な考え方でした。
戦争などがその典型的な例です。
「滅私奉公」という言葉は実に象徴的ですね。
公私の関係は矛盾と緊張をいつも孕んでいます。
なにが「公」でなにが「私」なのかという判断基準さえ、時と場合によって異なるのです。
これくらい厄介なテーマはないのではないでしょうか。
あなた自身の中で、この問題をじっくりと考えてみてください。
かなり難しい内容ですが、1度は検討するに値する内容です。
スポンサーリンク
「私」の幸福が「公」の幸福に繋がるケースはないのでしょうか。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。