吉野弘
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はなんとなく祝婚歌を取り上げたくなりました。
日本にもたくさんの祝い唄があります。
しかし今回はあえて近代の詩を紹介します。
御存知の方も多いでしょうね。
かつて出席した結婚式で聞いたことがあるという経験をお持ちかもしれません。
吉野弘の「祝婚歌」です。
たくさんのすばらしい詩を発表した詩人です。
このサイトでも高田三郎の作曲した「水のいのち」の話を書いた時、吉野弘についても少しだけ紹介しました。
名曲、「心の四季」です。
最後にリンクを貼っておきます。
ご一読いただければ幸いです。
吉野弘の詩には少しも難しい言葉がでてきません。
とても静かです。
しかし胸の奥にまで響いてくるのです。
高校では「I was born」という詩をよく学習します。
なぜ人が誕生するという表現は受身形なのかというところから、命の持つ意味を考えようとした詩です。
その他、自分の子供がうまれた時につくった「奈々子に」は泣かされます。
ここまで自分を愛してくれた人がいるという、ただそれだけの事実が重いのです。
ここに「祝婚歌」の全文を載せます。
読んでみてください。
やさしい人の心の中が痛いほどみてとれます。
祝婚歌
二人が睦まじくいるためには
愚かであるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
「祝婚歌」は、吉野弘が姪夫婦の結婚式に出席できないとき、新郎新婦に贈った詩だといわれています。
感情が滲み出るというのがピッタリですね。
大きな声で偉そうに話した言葉ではありません。
それだけに心に響きます。
詩経・桃夭
中国には「桃夭」という詩があります。
結婚式のお祝いの歌というと、ぼくには必ずこの詩が思い浮かびます。
高校の教科書に必ず載っているのです。
漢詩には、いろいろな型式があることを授業では教えなけければなりません。
詩には必ず句形と押韻(おういん)があります。
聞いたことがありますか。
基本的には最後の音の発音が同じであることを要求されます。
何句目の音が一致しなくてはならないといった約束があるのです。
詩はなによりもリズムが大切ですからね。
この漢詩は、「四言古詩」という形式の詩です。
四言詩というのは四つに並んだ漢字からなる詩のことです。
唐の時代に入ると、五言、七言といったパターンが一般的になります。
古体詩とは「五言絶句、五言律詩、七言絶句、七言律詩」以外の詩を指すと考えてください。
ここでは詩経の中の『桃夭』という漢詩を読みましょう。
嫁いでいく若い女性の美しさを、桃のみずみずしさに喩えています。
中国で「桃夭」という言葉は「女性の嫁入り時、婚期」を意味するようになりました。
原文と現代語訳
桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家
桃之夭夭
有蕡其実
之子于帰
宜其家室
桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于帰
宜其家人
書き下し文
桃の夭夭(ようよう)たる
灼灼(しゃくしゃく)たり其の華(はな)
之(こ)の子于(ゆ)き帰(とつ)ぐ
其の室家(しっか)に宜(よろ)しからん
桃の夭夭たる
蕡(ふん)たり其の実
之の子于き帰ぐ
其の家室(かしつ)に宜しからん
桃の夭夭たる
其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之の子于き帰ぐ
其の家人に宜しからん
現代語訳
桃の木々の若々しいことよ。
燃えるように盛んに咲く花よ。
その花のように若く美しい、この子が嫁いでいく。
その嫁ぎ先にふさわしいことだろう。
桃の木々の若々しさよ。
たわわに実る桃の実よ。
その実のように子宝に恵まれるであろうこの子が嫁いでいく。
その嫁ぎ先にふさわしいことだろう。
桃の木々の若々しさよ。
盛んに茂る桃の木の葉よ。
その葉のように栄える家庭をもつであろうこの子が嫁いでいくよ。
その嫁ぎ先にきっとふさわしいことだろう。
何度も同じ言葉の形が繰り返されていますね。
このような表現の方法を「重詠」といいます。
桃は中国ではとても大切な樹木です。
桃の節句などを祝う習慣もあります。
桃源郷という言葉にも、出てきますね。
桃は李、梅、木瓜と同じように、祈りの意味をもって詩に詠まれてきました。
女性がもっとも季節のよい春に桃の花のような美しさをもって嫁ぐ様子を歌っているのです。
それとともに幸せな結婚生活心から祈っている歌なのです。
実に伸び伸びとした言葉の表現が、おおらかで大陸的です。
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まさに祝婚の歌にピッタリではないでしょうか。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。